15/06/18 03:15:41.83 pmmlX6DC0.net
熊取町で短期間の狭い範囲(600メートル内)で7人の若者が亡くなった。警察は事故者2名、自殺者5名と結論づけたが、あまりにも不審な点が多すぎるこの事件。
それは呪いなのか、若者特有の人生の悩みなのか、もしくは殺人なのか、果たして真相はいかに。
1992年4月29日(木)
A君(17歳)が死んだ。A君はシンナーを吸引し過ぎて、ため池に落ちて死んでしまったのだ。A君は暴走族でバイクが大好きだった。暴走族の仲間たちは皆悲しんだ。
一ヵ月後の5月29日(金)
A君の仲間のB君(17歳)もシンナーを吸引しすぎて心不全で亡くなってしまった。
その六日後6月4日(木)
A君、B君とも仲が良かったC君(17歳)がタマネギ小屋で首を吊っているのが見つかる。警察は自殺と断定した。
遺書は残されておらず「借金を返してくれ」と小さなメモが見つかっただけであった。
六日後6月10日(水)
婚約者が妊娠しており出産を楽しみにしていたD君(18歳)が自宅の納屋で自殺する。C君同様に遺書は無し。
D君は暴走族の頭(ヘッド)を務めており地元では有名な不良だった。婚約者と暮らす新しい住まいも決め、まさにこれから!という時期に自殺してしまった。
C君の葬儀の際には悲しむ仲間たちを「俺たちはしっかり生きていこう!」と励ましていたD君。そしてC君の自殺を誰よりも悔しがっていたのはD君。
死ぬ前にD君は家族や友人にこう語っている。
「白い車に追われているんや」「白のクラウンや」「何回かつけられた」と。
D君の首を絞めていた縄の痕は斜めではなく、真横についていた。