14/06/17 02:15:15.30 .net
>>674
さらに追記。
-では74年の「宇宙戦艦ヤマト」第四話のコンテはどういう風にお話が。
「海のトリトン」で当然西崎さんが名前を覚えてくれていたのでしょう。
最初のヤマトは松本零士先生と山本映一監督が並列みたいな形でいて、その上に西崎さんがいるという印象でしたが、
山本さんも虫プロ時代の僕の上司だから、西崎さんと山本さんの間の合意で、僕に声をかけたのかもしれません。
とてもよく覚えていたのは、そのシナリオがすごくつまらなかった。
西崎さんの世代の持っているメカニック感みたいなものが陳腐すぎて、僕にはとてもじゃないけれど許容できなかったんですが、
それでコンテをストーリーごと全部描き直しちゃったんです。そうしたら呼びつけられて、
その時全ての主導を取っているのが西崎さんだとはっきりわかりました。
「お前、何で勝手にシナリオを直したんだ」
「つまらないから直したんだ」
「これで発注したんだし、シナリオ通りにコンテを切ってくれ」
「シナリオ通りに切ったらつまらなくなるけれどもいいか」
「いい」
といった会話が交わされました。
翌々日ぐらいに書き直したのをポンと持って行き、それでOKが出て、それきりです。
とにかく西崎主導の作品だということがわかったから、一緒に仕事をする気もなかったし、こっちもケンカを売ったんですよね。
見事に縁が切れて良かったよと。それが僕にとってのヤマトです。
西崎さん個人の体臭は「海のトリトン」で何だかんだいっても知っていましたけれども、
ミーティングで西崎さんが親分になってエラく張り切ってやっているのを見たときに「こりゃダメだ」と思いましたから。
「ヤマト」がああいう風にヒットしたことについて言えば、正直とても嫌な現象でしたね。
ただし、アニメの製作に西崎さんのような外部の人間、つまりクリエイターではなく
どちらかというと営業とか商売先発で来る人が入ってきたのはいい事だと思いました。
(富野由悠季全仕事 - 1964-1999 /2000年 抜粋)
この通り西崎氏主導なのは明らか。