24/06/27 09:19:41.78 CfT3ys080.net
先週のプロ野球レジェン堂はヤクルトの大エースだった松岡弘さんでした。同時期の大投手と比べて松岡さんの
若い時の話は聞いたことがなかったので新鮮でした。高校時代の話では倉敷商に入学したら1年上に変な人がいた
ことから話が始まりました。星野さんは当時から県内で野球の実力はない方で有名で監督や部長も困っていたそうで
す。当時からあのラインだったって話に笑いました。松岡さん自体は二年の秋から投手を始めたそうで、それも本
来のエースが利き手を故障したことが原因だそうです。高3の夏は県大会の準決勝(東中国大会の代表決定戦)で
選抜優勝校の岡山東商の平松投手と投げ合って3-3で日没引き分け再試合となり、再試合で2-5で負けたそうです。
話の中でMCの徳光さんによると、長嶋茂雄さんが対戦した投手の中でヤクルト時代の松岡投手が一番速いと言っ
ていたそうです。確かに昔の投手って球速の全盛期の長さが今の投手と比較して短く、当時、見たカープの外木場、
大洋の平松、巨人の堀内なんか、本当に大投手かって思うくらい球が遅かったですが、78年の日本シリーズで阪急を
完封した松岡さんはこれらの投手と比較してストレートは別格に速かったですね。
岡山東時代の平松って、地区大会で長嶋さんが一番速いって言っていた松岡に投げ勝ち、決勝では怪童尾崎や
天才江夏が一番速いって言っていた関西の森安に投げ勝つって、本当にすごい投手だったんですね。平松さんに関しては
やはり同番組で阪神の田淵が一軍で初めて対戦した投手が平松さんだそうですが、球が見えなく3球三振したそうです。
松岡さん自体は甲子園に縁がなかったけど、甥っ子の松岡大吾が87年夏の甲子園で活躍しましたね。初戦でプロで活
躍した静岡の赤堀に投げ勝つなど、準々決勝まで行きました。準々決勝の帝京戦では本来のエース凪が監督にしつこく
俺に投げさせろと訴え続けていたそうで、それに根負けした監督が凪を先発させたら5失点。救援した松岡が帝京
打線を抑え込んだだけにもったいない試合でした。凪は試合後に悔いはないと言っていましたが、松岡が先発していた
ら勝機があっただけに、他の野手はたまったもんじゃなかったでしょう。松岡は中京の野中タイプのズングリした体系
から重い球を投げるタイプの投手でした。