20/02/27 20:14:15.86 0.net
∩,,∩
(;`・ω・)∫ 大きさや形、柔らかさなど大事な要素を言ってるが
/.\ ̄ ̄.旦\ それらは所詮まだ預流の若輩者じゃ。おっぱい修道の
// ※\___\ 階梯には四つあっての。預流果、一来果、不還果、阿羅漢果、
\\ ※ ※ ※ ヽ と四つの成果がある。A~Fは「まだ“流”れに“預”かる(煩悩に
.\`─----ーーーヽ 翻弄される)」レベルじゃ。まだその先に、“あと一度だけおっぱいに
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 出会えば悟りが完成する”「一来」、“再びおっぱいに出会う必要はない”
という「不還」、そして、それらを通過して初めて、“選り好みなく、等しく、大なるものも小なるものも、
垂れたものも上向いたものも、平たいものもお椀のものも、沈んだ乳首も突き出た乳首も、乳輪の
濃いも淡いも広いも狭いも、分け隔てなく愛でる境地”「阿羅漢」となるのじゃ。
阿羅漢とは、本来「嗚々露歓」或いは「仰露歓」と表記し、前者であれば「露になった乳房への
歓喜と畏敬」、後者なら「乳房を仰ぎ見ることの歓喜と畏敬」が表わされている。いずれにしろ、
畏れと敬いの気持ちを欠けてはならぬ。
長岡法師は、このことを伝えようと、乙拝心経を記したとも言われておる。「おっぱいに貴賎無し」は、
IOPCの原点であり、永遠であるべき底流じゃが、このスローガンは、法師の心髄を今に伝える、
我々が抱くべき永遠のテーゼとして今後も受け継がれてゆくことじゃろう。
ちなみに、現IOPC本部のロビーには、長岡麻呂筆と伝えられる
「他物無在 雄者応知 無貴無賤 唯在乳房」の額が掲げてある。
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