23/10/08 18:24:50.30 r6lJOp0G.net
面接
253:受験番号774
23/10/08 18:25:25.01 r6lJOp0G.net
面接
254:受験番号774
23/10/08 18:25:39.93 r6lJOp0G.net
面接
255:受験番号774
23/10/08 18:26:07.47 r6lJOp0G.net
面接
256:受験番号774
23/10/08 18:26:29.26 r6lJOp0G.net
面接
257:受験番号774
23/10/08 18:26:55.11 r6lJOp0G.net
面接
258:受験番号774
23/10/08 18:27:17.78 r6lJOp0G.net
面接
259:受験番号774
23/10/08 18:27:24.14 r6lJOp0G.net
面接
260:受験番号774
23/10/08 18:28:15.50 r6lJOp0G.net
面接
261:受験番号774
23/10/08 18:28:15.45 r6lJOp0G.net
面接
262:受験番号774
23/10/08 18:29:02.94 r6lJOp0G.net
面接
263:受験番号774
23/10/08 18:29:29.54 r6lJOp0G.net
面接
264:受験番号774
23/10/08 18:29:47.94 r6lJOp0G.net
面接
265:受験番号774
23/10/08 18:30:31.86 r6lJOp0G.net
面接
266:受験番号774
23/10/08 18:49:37.54 wY2bmdKY.net
受かる方の共通点があれば教えてください?
お願いします
267:受験番号774
23/10/09 07:45:56.07 fLN8GQuH.net
地頭がよい
268:受験番号774
23/10/22 04:59:18.09 KTlW9xcr.net
日本語を上手に使えない
269:受験番号774
23/10/22 17:50:47.85 KTlW9xcr.net
天下がみだれた。公孫度の威令が海外に行われると聞いた。管寧は、邴原と、邴原の王烈とともに、遼東にゆく。公孫度は、館に空きをつくり、管寧らを待遇した。管寧は公孫度に会い、山谷に廬した。ときに遼東した人は、みな郡南にいた。だが管寧は郡北にゆき、中原に帰らぬ意思を示した。
270:受験番号774
23/10/22 17:53:38.34 KTlW9xcr.net
曹操が怖いのは、揚州が「独立」して、別の皇帝を立てることじゃない。っていうか、そんなこと想定できない。そうでなく、揚州に群れた派閥が、後漢のなかで丞相府の対抗勢力となることだ。だから、自ら乗りこんで、解体せねばならない。河北でやったのと同じように。河北の平定後、人材の大再編があったように。
271:受験番号774
23/10/22 17:55:11.33 KTlW9xcr.net
曹操が荊州から長江を降ったとき、揚州の人材が問われたのは、もちろん「曹魏に屈服するか、独立するか」ではない。「曹操の丞相府に辟されるか、断るか」を確認されたのだ。軍隊をつれてモノモノシイが、曹操がやっているのは、「わざわざ遠方まで自ら訪ねて、賢者をまねく」という、人材登用の基本である。劉備と諸葛亮と、基本的な構造は、同じなんだと思う。
272:受験番号774
23/11/12 19:53:16.04 PvJyv6H8.net
祖父はスマトラ島に駐留していたのですが、帰国直前になって部隊を脱走した同期が多数いた事を悲しんでいました。関連映画が公開された時も、こんな綺麗なものじゃない。と悲しそうに言っていました。義勇兵の行動を私がとやかく言えるわけもないのですが、祖父やその戦友にしかわからない複雑な事情があったものと理解せざる得ません。