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■この墓が荒らされる前に
>萩尾さんは大泉での思い出を「墓」にたとえ、以下のように綴りました。
>
>「1970~1972年の2年間
> 夢を見て大泉に集った
> 漫画家たちがあった。
> 仕事をし、語り合った。
> だが、地雷もあった。
> それが爆発して大泉は解散した」
>
>この言葉を墓碑にすると述べています。どうか彼女の思いを汲んで、今後この墓を荒らす者が出てこないよう、いち読者として祈るばかりです。
以上 URLリンク(news.yahoo.co.jp)
墓に埋まっていた物
・大泉時代の萩尾さんの全身自画像(メシを要求する飼い猫に足を齧られながら空想中のH-S58)
・「盲導犬をひいて、あんまにいくわたし」目を傷めたけど傘と服とを同じ柄に揃えたオシャレをイメージ
・「い~もの見つけたモトちゃん」メメ痛いのを竹宮さんたち極悪友どもにからかわれているが、竹宮さんからの絶縁状はどこいった?
・「黙して語らず、バカにつける薬はない」誰かさんに対して言ったわけではありません
・トーマ連載中「マンガABC」で「L・LOVE―愛」「仕事を愛せなくなったらおしまいです」…呪いの炎はどこいった?
未確認埋没品
・恩人・山本順也さんへの絶縁状(いつ、どういう事情なのか不明)
・「あそび玉」初出のセリフは未確認
ちなみに初出の雑誌掲載以降に原稿を改変することはよくあることです
「ハワードさんの新聞広告」はセリフを変えた
「ドアの中の私の息子」はタイトルを「ドアの中のわたしのむすこ」に変えた
「メリーベルと銀のばら」は連載原稿をバラバラに切り刻んで再構成した
萩尾さん、1982年末のショックで別の世界から来てしまったんだよ(この量子脳の多世界解釈は本気で言っています)
今ならまだ間に合うから大泉本のことを考え直してほしい