20/11/28 10:53:25.90 0996dbXx.net
>>27
について
それこそ合戦の実績が見られないので、
合戦系能力を低下させる修正をします。
また河内畠山家との関係を考慮し相性を修正。
武将名:順興寺実従
誕生年: 1498年
死亡年: 1564年
寿命:8
実親武将:本願寺蓮如
政治:72 戦闘:23 采配:34 知謀:67
足軽:D 騎馬:D 鉄炮:D 水軍:E
合戦特技 なし
内政特技 建設 外交
陣形 方円
職業 僧侶
相性 66
威信 軽視
列伝:
証如の側近。山科崩壊の際、証如を連れて石山へ退避した。
畠山旧宗家の血を引く蓮能の息子であり、
河内に近い石山御坊の本山化に影響力を行使したという。
背景:
永正3年(1506)河内の争乱では、
実如が細川政元の要請を受けて河内国畠山義英討伐への協力に応じると、
摂津国・河内国の門徒に一揆を起こして畠山義英を攻めるように命じたが、
摂津・河内の門徒らは、畠山氏との長年維持してきた友好的な関係を台無しにする命令に、
「開山聖人この方このような指図は一切なかった」と猛反発し派兵を拒絶。
また、蓮如の妻でこのとき石山御坊に在住していた蓮能も畠山氏出身であった。
これに対し、実如は力づくで抑え込みにかかり、下間頼慶を派遣する。
下間頼慶は加賀の門徒兵を千人ほどを率いて石山を制圧、蓮能母子を逮捕・追放した。
このとき実従も石山におり、母蓮能とともに逮捕・追放された子のひとりだった。
しかし、もはや山科本願寺への復帰は望めない状況で、
石山を新たな拠点とした本願寺の運営を図るならば、
本願寺にとっても畠山家との関係修復が必要となり、
畠山家の血を引く実従の存在の重要性が増すこととなり、
蓮淳の死後、実従は本願寺の長老格となった。