18/05/05 20:55:10.91 djtqufKR0.net
人中の呂布という言葉は正史では純粋な誉め言葉なんだけど
演義の書かれた時代まで来ると「人間の中でなら最強」「人間の限界」程度の
皮肉にもなるんだよね。
張飛は関羽と共に魏晋南北朝~隋代くらいにまで
かけて三国時代を代表する豪傑のツートップのような存在になり
唐代の古今六十四名将入りを果たし、その後も三国演義成立まで
民間伝承や平話などで人知を超越した超人となっている。
(民間伝承の張飛は仙人に弟子入りし、大岩を遥か遠くまで投げ飛ばしたり
落雷の術を操れるようにもなっている。)
呂布はどこまでいっても人間のままだけども、張飛は超人となり
三国演義の成立の時代の張飛は、人間越えを果たさない程度の
存在にまでダウンサイジングが図られているから
神となった関羽や超人化した張飛や孔明などと比べると
「人中の呂布」という言葉はなんともお粗末なものにも見えてくる。