18/04/07 10:09:22.14 .net
賈充公閭クリアしたけど、皇帝が黒幕だった説は悪くない路線だと思うけど、仕込みが足りない
魏皇帝は一代で済む話じゃないので、陰謀が掛かってるなら三少帝時代ともなると何等かの申し送り要素が必要になるので、ただ一言皇帝のせいと言うだけじゃ物語が弱い
曹家と司馬家の顛末を考える場合、遡ること曹丕子桓の少年時代にまで及ぶ必要がある
まず曹丕子桓が甄姫を娶った話だけど、真っ先に屋敷に乗り込んで、というのは元々当人を知っていたと見ると腑に落ちる
つまり以前から接点があったということ
204年冀州の戦いでは曹丕子桓が17歳、甄姫が21歳
そして曹丕子桓の初陣が11歳で張繍包囲戦のときだとすると、きっかけは曹昂子脩の死であるとみていい
これは声変わり前の少年信繁と同じように、曹丕子桓にも少年時代が必要ということ
すると、その間に曹操孟徳が袁術公路を攻める展開があるが、このとき寿春を攻めるような展開が伺えるが、このときの曹丕子桓の行軍した先に汝南の上蔡県が臨める地理にある
ここで甄姫と接点があったと見れる
行軍時に上蔡県令甄逸に宿の世話をしてもらった過程で、甄姫と出会う
このとき曹丕子桓12歳、甄姫が16歳
思春期真っ只中で、ここで曹丕子桓は甄姫を見初める流れが成立できる
このあと中原の戦乱を避けるために甄逸は実家のある中山郡毋極県へ引き払って、そのとき袁煕顕雍との縁談が持ち上がることになる
翌年の官渡の戦いでは、曹丕子桓13歳、甄姫が17歳で、敵同士として最後まで戦って、その4年後の冀州の戦いで、曹丕子桓が甄姫を娶ることになる
しかし甄姫は既にこのとき袁煕顕雍との間の子を儲けていて、それが後の曹叡元仲となる運び
曹丕子桓は凄くショックを受けるけど、まだ17歳で若いので、想い人と添い遂げることを優先させてしまう
身重の甄姫は匿われ、極秘出産の後に生年を偽ることで表向き実子とされたのが曹叡元仲だったけど、兄弟たちにはこのことを知る者も多く憎まれることになる
これが後々響いてきて、曹丕子桓は葛藤と共に甄姫を疎む要因とする
と同時に、曹植子建までもが甄姫に横恋慕するので、これもまた曹丕子桓が弟を虐げる要因とする
それから、袁家三兄弟を何かと貶す風潮があるけど、そういうことはやらない(こういうのも演義の欠陥であり羅貫中の残した罪)
跡目争いに積極的ではなかった袁煕顕雍はどちらかというと聡明で、それが曹叡元仲にも引き継がれる形とする
それと、曹丕子桓の死因は単なる風邪ではなく、孫呉討伐遠征において魯粛子敬が密かに仕掛けてきた疫病作戦に引っ掛かったことにする
曹叡元仲については、名族さんの面影を残しつつ凄い長髪なのと、洛陽復興建築でたびたび満寵伯寧さんに相談しまくるキャラで
無双では原典と違って戦場現地まで行かせる
曹叡元仲とその子たちが早死にしたのは、曹家内部で袁家の血筋を絶とうという陰謀から毒を盛られた形にする
曹芳蘭卿は曹彰子文の孫説を採って、今ひとつ鈍い暗君であることの原因にしておく
そして曹髦彦士
彼は才能のある名君の器として、曹家にとって司馬家を除く起死回生の切り札的キャラにする
8では司馬家に対する数々の反乱が皇帝が黒幕である解釈が取られてるけど、それ自体は佳作だけど、ただ曹髦彦士を下げるだけなのがよろしくない
というか曹爽昭伯もだけど、どちらかというと取り巻きの連中の方が対司馬を煽っている感があるので、そこらへんを政治結社にしてしまえばいい
首謀者が誰ともハッキリしない、魏宮中に潜む理念だけの影の存在
便宜上、曹家連盟とでも言っておこう
曹操孟徳の子や孫らが誰ともなく事に関わり、曹叡元仲に疎まれた四聡八達が取り込まれ、曹爽昭伯を唆した何晏平叔のグループ、夏侯玄泰初を唆した李豊安国のグループなどが代々申し送りを受けてきた形
特に曹叡元仲への憎しみは集中していてい、袁家の血筋を絶って曹家へと修正しようとしたのもそいつらのせい