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>>478
●下邳の戦い 198年 35歳 URLリンク(www.youtuberepeat.com)
曹操は下邳で呂布を包囲すると、昌氏は「呂布は恐ろしい相手です。くれぐれもご自重ください」と于禁を送り出すが、于禁は「今の我が軍は艱難辛苦を乗り越え結束が固いのだ。足並みの揃わない呂布の軍勢など恐るるに足らぬ」と鼻息も荒く出かけて行った
于禁はここでも李典、楽進と協力して呂布軍を散々に打ち破るが、戦いの最中意外な人物と再会した
それは呂布軍に援軍としてやってきた、臧覇の元に身を寄せていた昌豨であった
于禁は昌氏が息災であることを伝え曹操に降るよう勧めるが、昌豨は怒りを以てそれを撥ね付けた
「俺は陶謙の元にいたが、奴の泰山攻めには参じずに奴の元を離れた。それなのに曹操は徐州で民に虐殺を働いた。皆殺しにされた中には俺の妻子もいたのだ」そう言う昌豨の怒りは相当なものであり、于禁の取り付く島もなく互いの鴛鴦三叉が交錯する
呂布が敗れると、撤退した臧覇と共に昌豨も行方をくらました
●炅母討伐戦 199年 36歳
東郡で炅母が反乱を起こし、それが昌豨と通じていると聞いた于禁は、呂虔の討伐軍に志願して従軍した
昌豨のことで思い悩んでいた昌氏は、于禁の見送りにも出られないほど憔悴していた
昌豨は戦場で于禁と合間見えると鴛鴦三叉同士で激しく打ち合い、「お前ほどの男がなぜあのような虐殺者に付くのか」と激しく咎めてきたが、于禁は「私は曹操殿の覇道に忠義を尽くすと誓ったのだ。徐州のこともわけあってのこと。お前も曹操殿と共に歩んでみればわかること。その上での結論を出せないほどお前は愚かではあるまい」
それを聞くと昌豨は刃を収め、呂虔の計らいで昌豨は降伏し、同じ頃曹操に降っていた臧覇と共に青州、徐州の統治を任された
●官渡の戦い 200年 37歳
官渡で曹操と袁紹の決戦が始まると、昌豨と再会した昌氏の二胡は、いつもより軽やかに于禁を戦場へと送り出した
于禁は昌豨の件が解決したことで憂いなく臨み、先鋒を志願した
于禁は延津を堅守(ウェーブ戦)すると、烏巣が落ち形勢逆転と共に李典、楽進と共に打って出て袁紹を散々に打ち破った
しかし、豫州方面で劉辟、龔都らが反乱を起こすと、袁紹はその支援に劉備を派遣し、その途上で昌豨もそれに加わった
于禁は劉備討伐軍に加わり向かった先で昌豨と対峙すると、やはり曹操は許せないという昌豨に、それは私怨であると于禁は説いたが、妻子を殺されたことのないお前にはわからぬ気持ちだと昌豨の決意は固く変わらなかった
鴛鴦三叉の刃を交える昌豨は、昌氏のことを大事にしてやってくれと言い残し、昌豨は劉備軍の撤退に紛れて姿を消した
●東海郡の戦い 200年 37歳
東海で再び昌豨が反乱を起こすと、于禁は張遼の討伐軍に志願した
昌豨の相次ぐ離反に思い余った昌氏はついに病に伏せてしまう
昌豨は東海城を固く守り、張遼、夏侯淵、于禁らを決して寄せ付けなかった
于禁は昌氏が倒れたことを怒りと共に告げると、容赦なく鴛鴦三叉の刃をぶつけ合った
張遼は曹操軍を何度も退ける昌豨の武勇に関心し殺すには惜しいと思い于禁を制すると、「華北に暮らす貴公ならばその民の暮らしぶりが如何に豊かなものか知っていよう。それは曹操殿の治世が間違いではないということだ」と諭し降伏を促す
しかし昌豨は投降したように見せかけて、夜半の闇に乗じて逃走してしまう