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●徐州復讐戦 194年 31歳
徐州への侵攻を宣言した曹操に、郭嘉が徐州へ攻め入るときは民を殺すよう献策した
あまりの申し出に肝が冷えた曹操は一時怒りを仕舞い込み「そのようなことをしては天下に示しがつかぬ」と郭嘉にその真意を尋ねると「陶謙がこのような行為に及んだ原因は飢饉によるものでしょう。しかしそれは我らとて同じです。
青州黄巾の民百万を受け入れた矢先にこの飢饉。これを捨て置けばいずれ我らも陶謙と同じ蛮行に走らざるを得ますまい。今曹操殿には陶謙を討つ復讐の義ができました。その怒りを隠れ蓑にし徐州の民を除き、そこに青州黄巾の民を入れるのです」と答えた
これに曹操は感嘆し、曹嵩の亡骸を今一度見て自らを鼓舞すると、徐州の全てを抹殺する命令を出した
諸将らが納得できずにいると郭嘉は「各々方の悩みは私が引き受けます。民を討つ軍は私で用意しますので、諸将は武門の敵のみお討ちください」と説いたが、曹操はそれを制し「このような業を部下に擦り付けるほど儂は狭量ではない。その役目は青州兵を率い儂自らが担おう」と先頭に立った
出陣する于禁を、昌氏は于圭を連れて「この子にはあなたの教えが必要です。どうか生きてお帰りください」と二胡の音で送り出した
于禁は広威城を攻めると、陶謙の増援として公孫瓚麾下の劉備軍が現われるが、李典、楽進らと協力して桃園三兄弟を退け広威を陥落させる
●兗州奪還戦 195年 32歳
徐州侵攻は順調のように思われたが、曹操の盟友張?が裏切り呂布と共に兗州を占領したため、于禁も兗州へと取って返すこととなる
于禁の家族は?城にあったが、夏侯惇らに守備されたことで陥落を免れたことを聞くと、于禁は軍務を優先させた
夏侯惇は家族の安否が気にならないのかと于禁に問うたが「勝って帰らば問題ない」と戦地へ急いだ
このステージはオープンワールドとなった兗州中の砦を片っ端から攻略するパワーゲームとなる
李典、楽進と共に全て陥落させ兗州を奪還すると、昌氏の二胡が于禁の帰還を迎える
●豫州黄巾残党討伐戦 196年 33歳
曹操が黄巾賊残党の殲滅に乗り出すと、それに従軍する
二胡を持つ昌氏は「あなたは近頃戦場で無茶をするようです。どうかご無理をなさらずに」と心配して送り出すと、于禁は「私は常勝を心がけるものだ。大事はない」と意気揚々と出かけて行った
豫州に入ると黄邵が夜襲を仕掛けてきたためこれを撃退し、李典、楽進と共に黄邵をその本拠地まで追撃し討ち果たす
●偽帝討伐戦 197年 34歳
袁術が劉寵を忙殺し陳国を乗っ取り暴政を働くと、陳国からの流民が兗州に入り出す
民らが袁術の非道を訴えると、これを捨て置けない曹操は袁術の討伐軍を出す
昌氏は見送りに伴った于圭を指し「この子も大きくなりました。お帰りになったら今度は武芸を教えてやってください」と于禁に約束を取り付けた
袁術は曹操の大軍を恐れると、陳国を橋蕤、李豊、梁綱、楽就らに守らせ自分だけ逃げ出した
これを于禁は李典、楽進らと共に打ち破り、さらに寿春城まで攻略し袁術軍を瓦解させる
袁術は袁紹の元に逃亡を謀るが、曹操の命で袁術討伐に来た朱霊と劉備に退路を塞がれ行き場を失い、?山へと落ち延びた果てに死ぬ
●宛城撤退戦 197年 34歳
宛城で張繍が反乱を起こすと、于禁は逃げる曹操の殿軍を務めた
宛城を脱出すると許昌までの帰路で青州兵が村々を遅い略奪を働いたため、于禁はこれを討伐した
于禁の生還を二胡で迎えた昌氏は、「あなたの厳格さは素敵ではありますが、過ぎた厳しさは己をも滅ぼすやもしれません」と案じた