真・三國無双8 Part98at GAMEHIS
真・三國無双8 Part98 - 暇つぶし2ch413:名無し曰く、
18/02/21 21:42:17.96 .net
スレリンク(gamehis板:786番)
やはり公孫瓚伯珪は必要だということ
【白馬義従】白色
公孫瓚伯珪 長柄剣 
いわゆるバスタードソードで徒歩時が両手剣、騎乗時が片手剣。騎乗用の剣として刀身が長い。
モーションは棍術の動きをベースに、重さで叩き斬る西洋剣の作法を加えアレンジしたもの
この武器は公孫瓚が装備した場合のみ8人の白馬義従兵が出現する
公孫瓚と同じ武器を使い、公孫瓚が騎乗するとそれに習って白馬義従兵たちも騎乗して追従してくる
馬ダッシュ乱舞を使うと騎兵部隊の突撃を行う
(声:田中正彦)URLリンク(twitter.com)
★公孫瓚無双伝URLリンク(www.youtube.com)
公孫瓚伯珪(159年-199年 40歳没)
無双の公孫瓚は最初から白馬義従を騎兵隊として組織している無双独自解釈設定とする
烏桓の部隊はそこへ編入された形
●国境防衛戦 182年 23歳 趙雲17歳
辺境へ国境警備に赴いていた公孫瓚は、鮮卑の騎兵団とそれを追う一人の若者を見つける
若者は趙雲と名乗り、鮮卑が近隣の村で略奪と人拐いを働いたので、それを追撃していると言う
これを見過ごせないと見た公孫瓚は、趙雲を警備団に交え鮮卑を追撃すると、これを討ち果たした
このとき、捕らえられた村人の中にいた娘を趙雲は手厚く介抱する
公孫瓚はこのときの趙雲の武勇を買い配下として招くと、趙雲も公孫瓚の義心に感銘を受けそれに応じた
●石門の戦い 187年 28歳
張純が夜天安定王を名乗り烏桓の丘力居を味方につけ反乱を起こす
その討伐を命じられた公孫瓚は趙雲を率いて石門でこれを打ち破るが、丘力居率いる烏桓族に押し返され張純は取り逃がしてしまう
度重なる異民族の凶行に、公孫瓚の異民族への義憤は次第に憎しみへと変わっていった
その戦いの最中、人質救出を任された趙雲は、鮮卑討伐の折に助けた娘をまたも救い出す
●常山防衛戦 187年 28歳 ※趙雲ステージ補足
河北一帯を荒らし回っていた丘力居が常山を標的にしていると知った趙雲は、公孫瓚に烏桓討伐を直訴すると一軍を率いて常山へと向かう
ここで趙雲は烏桓の貪至王と一騎打ちし打ち負かすと、さらには丘力居をも撃退し、囚われていた人々を解放する
そこで趙雲は、またしても見知った顔の娘を救った
何度も異民族の襲撃を受ける娘をあまりにも不憫に思った趙雲が「そなたをこのまま家に帰しても、また災禍を被ると思えば忍びない」と声をかける
すると娘は「武官様が私に身を守る術を教えてくださるなら、私も枕を高くして眠れましょう」と応える
こうして趙雲は孫軟児を妻に迎え、故郷で祝言を挙げた
●幽州騒乱戦 188年 29歳 ※趙雲ステージ補足URLリンク(www.youtube.com)
朝廷の命令で、異民族に顔の利く劉虞が烏桓を降伏させる交渉が決まると、漢の民に狼藉を働く異民族を許せない公孫瓚はそれを滅ぼすべきという考え方で、烏桓討伐失敗の焦りもあり交渉の妨害に出る
趙雲は公孫瓚を諌めるが聞き入れられず、交渉の使者として立った貪至王を襲撃することになる
趙雲は二度目の一騎打ちも貪至王を打ち破り捕らえると、公孫瓚は貪至王を処刑しようとするが趙雲の説得により白馬義従の戦力として帰順することになる
公孫瓚は帰順した貪至王を冷遇し貪至と呼び捨てにしたが、趙雲は貪至王に対する敬意を決して忘れなかった
「漢に降り使役される身の上の私をまだ王と呼ぶのか」という貪至王に、趙雲は「烏桓の王が何を恥じることがありましょう。
義を尽くして働けば公孫瓚殿もきっとその意に報いてくれましょう」と貪至王の手を取った。貪至王は趙雲に心服し、以後貪至王の一団は趙雲に付き従うこととなる
公孫瓚を使っている場合、更に次の使者をも倒すことが可能で、見逃せば使者は無事劉虞の元にたどり着いて烏桓は劉虞に帰順する
使者を殺すと、ムービーで今度は劉虞自身が烏桓へと出向くことになり、道すがら公孫瓚と口論になるが、劉虞は勅令書を見せて黙らせる
公孫瓚は尚もその馬車を背後から襲おうとするが、趙雲に勅使を殺せば逆賊の汚名を着ると諫められようやく収まる


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