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●孫尚香奪還戦 212年 48歳
荊州を巡って劉備との抗争が表面化してきたため、孫権は孫尚香を人質としておくわけにいかなくなり、孫尚香の奪還を命じる
荊州の劉備本拠地には周泰(生存してる場合は祖茂)が潜入し、孫尚香を連れ出して、蒋欽らが長江で迎えとしてそれを待った
無双では阿斗は連れ出さない形での離縁となるため、趙雲と張飛の追撃は純粋な奥方の保護ということになる
蒋欽らは水際で趙雲らを退け撤退する
●第一次濡須口の戦い 213年 49歳 ※孫呉の無双伝共通
蒋欽は孫策に仕官してからは、舟山諸島に面した呉群沿岸に別荘を建て、戦役のない時期はそこで元陰陽族の部下らを招いて波盾を使い海へ繰り出していた
祖郎を通じ舟山の道教寺院に波盾を幾つか作らせ部下たちに与えたりもした
さらに長江で軍務があるときも、暇を見つけては波盾で繰り出し波乗りに興じていたが、長年それを続け過ぎていたため、目と耳と皮膚に病を患っていた
この頃の蒋欽は病が重くなり、身体の不調を押し殺しながら無理をして軍務に当たり周囲を心配させていた
濡須口に曹操軍が押し寄せると、蒋欽は周泰と共に両翼の水軍を担う
強風により董襲の艦が転覆すると、蒋欽は波盾で急ぎ救助に向かう
この場面は船の残骸を破壊して董襲に辿りつければ董襲は生存する(助かってもこの事故の傷が元で董襲は退役する)
救助に成功すると孫権の感心が得られて、のちの良君の部分フラグが立つ
失敗して董襲が死ぬと孫権は心を痛める
また、徐盛が孤立した場面で助けに入ると仲間を見捨てない姿勢に徐盛が心服し、これも孫権の感心が得られる
間に合わなければ徐盛は単独で脱出してしまい友好度の大きなプラスが得られなくなってしまう
いずれも初期ステータスでは間に合わなく条件達成不可で、蒋欽を充分育成してから挑まないといけないほど難しい
●合肥の戦い 215年 51歳 ※孫呉の無双伝共通
張遼が奇襲に失敗して孫権に包囲されると、それを単独で突破しようとしたところで蒋欽が「お前は部下を見捨てるものであるか」と引き止める
すると張遼は烈火のごとく怒りとって返すと、蒋欽を激しく攻め立て、病により思うように戦えない蒋欽は追い込まれてしまうが、あわやというところで徐盛と丁奉が張遼を遮る
張遼は部下をまとめ密集隊形にすると、そのまま包囲を打ち破って突破した
蒋欽は孫権に、張遼を討ち損じたことを陳謝したが、孫権は蒋欽が無事であったことの方を喜んだ
ここで徐盛との友好度が低いと援護には来ず、蒋欽を庇った陳武が戦死してしまい孫権は心を痛めてしまう
徐盛らが活躍すると孫権の良君フラグが部分的に成立する