18/09/05 02:49:44.13 FHnxgc0T.net
3の玉砕イベントはテキストだけでも泣ける
・ペリリュー島玉砕
パラオ ペリリュー島
徹底的な防衛戦を展開し、連合軍に多大な出血を強いた守備隊も、ついに力尽きる日がきた。1944年11月27日、大本営はペリリュー守備隊からの決別の電報を受信する
連合艦隊司令部
情報参謀
「長官、大本営がペリリュー島からの電報を受信したそうです。こちらにも伝聞がきております」
司令長官
「読んでくれたまえ」
情報参謀
「はっ、読み上げます。・・・・「サクラ、サクラ」・・・・以上です」
司令長官
「そうか・・・・無念だな 彼らの健闘に報いるためにも、誓って米軍を撃滅せねばなるまい」
玉砕を意味する暗号電文「サクラ、サクラ」を残してペリリュー島守備隊は全滅したが、日本軍の健闘をアメリカ軍は長く記憶にとどめることになる。苛烈な激戦であった
ペリリュー基地が占領されました
・硫黄島玉砕
東京都 硫黄島
網の目のように張り巡らされた地下壕に立てこもって地上の敵と砲火を交えるという、史上稀な戦闘も終焉の時を迎えようとしていた。日本軍司令官栗林将軍は生き残った将兵に向けて最後の訓示を行う
小笠原兵団長 栗林忠道中将
「諸君、苦しい戦闘にこれまでよく耐えてくれた。これより我が軍は最後の斬り込みを敢行する
負傷している者はいたずらに命を捨てることなく、生き残って最後までゲリラ戦を行うように
それでは諸君、先にいくよ・・・・さようなら」
栗林将軍が戦死しました
硫黄島基地が占領されました
・沖縄玉砕
1945年 沖縄
ついにアメリカ軍は日本本土に上陸を開始した。牛島将軍率いる沖縄守備隊はよく善したが、アメリカ軍の物量作戦に圧倒され南端の摩文仁の丘に追いつめられた
沖縄本島では各地でいまだ戦闘が続けられていた。しかし、それは戦争による悲劇を積み重ねるだけであった
ひめゆり部隊の悲劇 上陸部隊指揮官バックナー中将の戦死
そして陸戦隊司令太田少将は玉砕間際、大本営宛にこう打電する。「沖縄県民に後世特別のご高配を」と
摩文仁洞窟司令部
沖縄守備隊司令官 牛島満中将
「これより私は敵正面に対して突撃を敢行する 以後は各部隊指揮官の判断によって戦闘を継続せよ」
牛島将軍が戦死しました
那覇基地が占領されました