21/06/08 02:38:53.78 gyodYI5BM.net
>>56
>「山本階関係資料」のなかに四枚の「附表」がある。
中国人の送還帰国に関する「事業場報告」の附表とみられる。
「附表」一は「事業場概要」、二は「関係者名簿」、三は「配置人員表」、
四は「個人別就労経過調査表」である。鉱山関係者(数字は就任〜退任年月日)
社長 佐藤謙三 一九四五・一・三〇; 五・一〇)鉱山長 近藤次彦 一九四五・五・一〇一一・三〇
採鉱課長 細谷政司 一九四五・一・三〇12316; 三・三〇勤労部長 實藤正城 一九四五・一・三〔二・一五〕
勤労次長 小西駒之助一九四五・一・三〇12316; 二・一五勤労課長 杉本嘉助 一九四五・五・一
一一・三〇 → ここに嘉助の名前があった!
給与長 川上 良 一九四五・一・二〇12316; 一一・三〇勤労課員 荒澤信三郎一九四五・一・一一・三〇
>雑役の仕事は朝鮮人がおこなった。船が船着場に到着すると船からトロッコ用の線路や軍需省からの材木を降ろし運んだ。
請負制の方が仕事ははかどり請け負いのことを「コマリ」と呼んだ。
通常はトロッコの線路を二人で荷いだが、請け負いにするとかれらは三本をゆわえて一人で荷ぎ、
一時頃には仕事を終え飯場へ帰って休んでいた。 朝鮮人二〇〇人のうち一八〇人ほどが仕事に出てきた。
「稼ぎに日本へ来た」というが、さらってきたようなものであり、四〇歳位から一七八歳の青年がいた。
朝鮮人の飯場の構造はドアが人口にあり、中央にストーブ、電球は二本、隊長がドア近くに居住した。
中国人は採掘、道路建設に従事した。道路はトロッコ用と、山の事務所から下へ降りるための道路の二種類を建設した。
中国人が逃亡した事があった。五人が逃げ、二人は大仁の手前で捕えられ、他は山づたいに逃げ
当時警防団が山狩りをした。死亡した中国人の遺体は土葬にした。敗戦後、一体を班長の日本人が掘りおこし火葬した。
残りを中国人が掘りおこし火葬し本国へ送った宿舎から五〇メートルほどの所で火葬した。山田憲一さんの証言をまとめれば
以上のようになる(賀茂村にて、一九九〇年談)。杉本嘉助がタコ部屋化していた宇須久明礬鉱山で勤労課長だった話には影響しないわ
脱走者に対しては、山狩りしたりしたという特高警察報告や、日本人の囚人まで連行してきて
働かせていた職場にいたことがまずくて、秋と結婚したときの履歴からは
なぜか戦中戦後の職歴がわからないようにされていたので不審に思ってきていたけど
左翼だけに、強制連行だと報じる新聞や研究文献がある事案に、加害者として
嫁父が関与してきたことはまずいと判断されたからに他ならない
大量に死者が出て、逃亡者を山狩りまでするような体制が強制でなくて何なのか?
今朝の新聞にも、借金払えない男を車で福島に連れてゆき、除染作業に従事させていた事案で
大量の逮捕者がでている事件があったけど、あれと本質は同じ
小室の親について、皇室と親戚関係になるに相応しくないと公然と言いまくっている現在
杉本嘉助問題と、どこがどう違うのか、しっかりとした説明を聞きたいところ
さんざん人権を売りものにしてきた川島教授なはずが、小室の親の人権は無きに等しい攻撃ぶりで
一方自分の娘が皇室入りするときは、一切の身元調査を差別助長だと拒否しておきながら
孫の降嫁ではつべこべいうどころか、破談まで画策するのではダブスタの極みです
【①海外コームでは密輸事件まで発生 秋篠宮家の特権濫用ぶりは今に始まったことではないこと?】
あの紀子の成田空港密輸事件は、第一に関税法違反だった
自分の物であれ、正規の輸出手続をとらずに、搭乗さえもしていない、
他社便であるキャセイ航空の社内便として、香港に向け、密輸を強要した行為で
皇族特権でも外交官特権でも許容されない、まさに言い逃れのできない違法行為
事件が発生したのは宮内庁HPの予定ではこのタイミング
>>55
文仁親王同妃両殿下 成田国際空港御発 香港御着(中華人民共和国お乗り換え)
文仁親王同妃両殿下 香港御発<しかも密輸行為のせいで、無関係のキャセイ便を90分も待機させ、
遅延もさせているだから、サンデー毎日に出るとわかった皇太子さまが緊急参内し
直後から全宮家が広島北部水害を口実に謹慎に入って
美智子も大好きな軽井沢避暑を断念したが、真の謹慎理由は伏せたままだった
同程度の水害では全皇族が謹慎した例はなく、いまだに不可解
秋篠宮家もアフリカ訪問のあと、既に予定にあった外遊グアテマラ及びメキシコ訪問はしたものの
その後は事実上密輸行為への制裁として長期間海外訪問ができなくなった。おおそうか