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陸上自衛隊第15旅団(那覇)は1日、公式ホームページ(HP)をリニューアルし、昨年10月末から掲載を見合わせていた沖縄戦司令官の
辞世の句を再び掲載した。先の大戦末期の沖縄戦で旧日本軍を率いた牛島満司令官が沖縄の再興を願って詠んだ辞世の句を巡っては、
地元メディアの報道をきっかけに、一部の市民団体などから「自衛隊による旧日本軍の美化」といった反発が出ていた。
旅団は貴重な歴史的資料と判断し、HPリニューアルに伴い復活させたとみられる。
・市民団体「憲法違反」
沖縄戦では、昭和20年6月23日に守備隊の牛島第32軍司令官が自決して組織的戦闘が終結するまでに日米約20万人が戦死し、
沖縄県民の4人に1人が犠牲になった。
旅団によると、平成30年から旅団の沿革を紹介するページに辞世の句を掲載。沖縄が本土復帰を果たした昭和47年、
旅団の前身にあたる臨時第1混成群の初代群長を務めた沖縄出身の桑江良逢(りょうほう)氏の訓示とともに、歴史的資料として
示していた。
ただ、掲載から約6年が経過した昨年6月になって、地元紙が疑問視する報道をすると、県内の一部識者らが「県民を犠牲にした日本軍と
自衛隊のつながりを示し、美化するような内容」などと批判を展開。
他のメディアも一斉に報じ、市民団体が「明らかな憲法違反だ」などとして削除を求める騒動に発展した。
このため、旅団は昨年10月31日、HPのリニューアルに伴い、句の掲載を一時見合わせ、再び掲載するかどうかも含め、
検討を重ねてきた。
・最後の願い込め
牛島司令官の辞世の句について、沖縄県隊友会初代会長の石嶺邦夫さん(91)=同県読谷村=は「沖縄の地は荒廃し、
司令官は戦争が済んだらまた元の沖縄に戻ってほしい、再生してほしいとの最後の願いを込めて詠んだのだと思う」と強調。
旅団がHPへの掲載を見合わせたことに対しては、旧防衛庁広報誌編集長を務めた評論家の潮匡人氏が「一部メディアに批判され、
掲載を一旦見合わせたのなら問題だ」との見方を示していた。
復活した辞世の句は、旅団の前身となる「臨時第1混成群」の歴史的資料を紹介するページに掲載されている。
昨年10月までは
《秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ》
と記載されていたが、復活した辞世の句は「臨時第1混成群史」に掲載された記述に合わせ、
《秋を待たで 枯れ行く島の青草は 御国の春に よみがえらなむ》
と掲載されている。
関係者によると、リニューアル前のHPでも当初「御国」と記載していたが、外部から「『皇国』ではないか」との指摘があり、
「皇国」と直して記載した経緯があるという。このほか、「秋待たで」が「秋を待たで」などと修正された。
潮氏は「自衛隊にとって必要なのは、国民の理解や支持。辞世の句の確認のため一時的に掲載を見合わせたのであれば、
改めて掲載の意図を伝えるべきだ」と指摘している。(大竹直樹)
産経新聞 2025/1/1 11:48
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