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《大阪・西成ルポ》 「昔はどこでも吸えたけど…」エリア最古の煙草店主が振り返る「西成50年史」(週刊現代) | 現代ビジネス (1/5)
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2024.10.21 週刊現代
2025年、大阪万博の開催が大阪市・夢州で予定されている。それに伴って大阪府では様々な法整備が行われ、東京五輪が行われたときと同じように新しい規制が検討、施行される。かつて大阪では1970年に万博が開催された。当時から大阪市西成区を見続けた煙草屋『たけい煙草店』の店主、武井敏夫さんが語る当時の大阪と今の大阪について取材をした。
シベリアに抑留された父が開業した煙草店
たけい煙草店は昭和38年(1963年)に武井さんの父が開業し、武井さんは店を受け継いだ2代目の店主。父が終戦後に日本に帰還し、店を始めて以降、この場所から西成を眺めて続けてきた人物だ。
地元である西成を長年見てきた武井さんが最初に語ってくれたのは、店の成り立ちになる。
「知り合いから『煙草屋したらええんちゃうか?』と言われたのがきっかけで父が始めました。元々私は、煙草屋とは全く違う仕事をしていましたが、25歳の頃に父の具合が悪くなり、今までの仕事を辞めて、発注などの裏方の仕事を手伝うようになったのが、私の煙草屋としての始まりです。当時は煙草だけでは全然売り上げが立たず、新聞の方が売り上げはよかったですね。開業してから15、16年経つまでは煙草の売り上げなんてなかったです」(武井敏夫さん。以下()内同)
武井さんの父は第二次世界大戦が終わった後、シベリアで抑留され、武井さんが小学生になるまで、日本に帰ることが出来なかった。そんな父が始めたのが煙草屋になる。
武井さんは18歳の頃から、看板に文字を書く仕事をしていたが、それを辞めて煙草屋を手伝うようになった。当初は煙草屋よりも、兼業でやっていた写真現像が主な仕事だったという。
記念煙草も発売された1970年万博
西成は令和になった現在でも、昭和の面影を残す街の一つ。60年以上、同じ場所で煙草屋をしていると、見えてくる問題があるという。
「71年に私は結婚をしたので、当時の万博(1970年開催)は嫁さんと一緒に見に来ました。田舎から沢山人が出てきて、活気があったのを覚えています。その時外国人を初めて沢山見ました。昔は大阪でも外国人はかなり珍しかったです。
70年の万博で話題だったのは『月の石』ですよね。アメリカ館で展示されていたものです。アメリカのパビリオンでは東京ドームのような形の施設も凄くて、柱が全然ないので、どうなっているんだと思いました。またコンピュータも人気でした。何に使われるのかさっぱりわからなかったですけど、今は沢山使われています。まさかこんなことになるとは思いませんでしたね」
70年に開催された万博は、奥さんとデートをしたと照れくさそうに話をしてくれた。
そこで最も注目されていた物と言えば『月の石』になるだろう。アポロ12号が万博の前年に月から持ち帰った重さ約900グラムの石だ。
アメリカは世界で初めて月面着陸を成功したことから、テーマのひとつを宙開開発として大々的に宣伝をしていた。
ちなみに万博に際し、記念煙草も発売された。煙草が電車の中や道路上など、場所を問わず吸えた時代。記念煙草は大きなイベントのときには必ずといっていいほど発売され、その度に人気を博したのだ。
「70年の万博はとても楽しかった思い出でしたが、今回の大阪万博はどうなるのでしょうかねえ。大阪市は25年1月から万博に向けて市内全域を禁煙にするので、煙草屋としては困っています。昔は駅でもどこでも煙草は吸えましたが、今は吸える場所が本当に少ない。ポイ捨てするくらいならと思い、店前に灰皿を置いていますが、すぐに吸い殻でいっぱいになります。他で吸う場所が無いから、ここまで来るんでしょうね」
NEXT 2025年にある問題が....
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