亀田和毅が決意と覚悟を初告白「僕が亀田家から離れた理由」 [夏スケボー★]at EDITORIALPLUS
亀田和毅が決意と覚悟を初告白「僕が亀田家から離れた理由」 [夏スケボー★] - 暇つぶし2ch1:夏スケボー ★ [IT]
23/02/06 18:42:44.75 FDWCndTL9.net
スペシャルインタビュー 亀田和毅が決意と覚悟を初告白「僕が亀田家から離れた理由」
2/6(月) 7:00 FRIDAY DIGITAL / Yahoo!Japanニュース
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
「残りのボクサー人生は長くない。やりきったと納得できるよう、純粋に強い奴と戦いたい。ただそれだけです」
元バンタム級世界王者の亀田和毅(ともき)(31)は、生まれ故郷の大阪・西成で新たな船出を切った。昨年末、元協栄ジムの金平桂一郎(57)を会長に迎え、『TMK GYM』を設立したのだ。
なぜ、亀田家から離れて自身のジムを作ったのか―。記者がそう尋ねると、三兄弟で最も才能があるとも言われた男は、冒頭のように力強く決意を明かした。
「三兄弟での世界チャンピオン」は、父・亀田史郎(57)の夢だった。亀田家の三男として生まれた和毅は、その夢のために、幼い頃から当たり前のようにボクシングと向き合う環境で育った。
「近所の人からも『素人の親父にそんなことできるわけない』とずっと笑われてきた。でも、お兄ちゃん二人が必死にやって、実際に世界チャンピオンになった。だからこそ、絶対に俺もやらなアカン、というプレッシャーがあった。あの頃は、自分のためというより、親父の夢のためにボクシングをやっていたと思う」
長男・興毅(36)、次男・大毅(34)と和毅は、まったく異なるキャリアを歩んできた。’07年、15歳で単身メキシコへ渡ると、日本では考えられない厳しい環境で研鑽を積んだ。スペイン語も話せないなか、一泊1000円の安宿で過ごし、試合の交渉まで自身で行った。今では流暢にスペイン語を操るが、生き残るために必死に習得したという。
「俺ね、すごいアホやったんですよ。グラシアス(ありがとう)すらわからんくて、『メキシコってどこ? 飛行機で17時間もかかるん?』みたいな。知ってたらたぶん行ってない(笑)。一年で35試合以上をこなし、交渉、移動、試合の連続。電車が遅れて対戦相手が来ないとかもザラ。でも、厳しい環境だからこそ強いメキシカンもドンドン出てくる。精神的にタフになったし、ボクサーとしても成長できた」
その後、’13年8月にWBO世界バンタム級のチャンピオンベルトを巻き、家族の悲願を達成した。安堵と喜びはあった。だが同時に、ボクサーとしての目標は失った。
「小さい頃から注目を浴び、兄弟3人でのチャンピオンが最大の目標。いざ達成すると、それからどんなモチベーションでボクシングを続けていったらいいのかわからなくなった。そんな状態から2年くらい抜け出せんかった」
この2年の間に、4度目の防衛戦に敗れ王座から陥落した。そこから再起し、’18年には再び世界王者へと返り咲いた。その後は’19年から所属ジムのないフリーとなり、約2年間試合が組めない時期もあった。そして今、亀田家から完全に離れるという選択をした。「亀田の三男」として生まれ、苦悩のときを経た和毅は、ようやく自分自身のためにボクシングと向き合えるようになったと語る。
「(亀田家から離れることを)怖いと思ったこともないし、後悔は微塵もない。自分で決めたことやし、年を重ねて思考がシンプルになった。極論ね、世界王者ももうどうでもいい。ただ王者にならないと、強い相手と戦えないから目指すだけ。一人のボクサーとして、自分がどこまでやれるか試したい。たぶん今が一番、ボクシングに集中できている」
2月25日に控えるルイス・カスティージョとの世界前哨戦に勝ち、3度目の世界チャンピオンへ。その先に見据えるのは、スーパーバンタムへと階級を上げた井上尚弥(29)との一戦だ。
「スーパーバンタムの強豪のなかで、井上は比較的やりやすいと分析してる。当然、勝てる算段がないとリングに上がらないから。俺ね、ボクシングという素晴らしいスポーツをもっと日本で盛り上げたいと心底思っている。井上尚弥と亀田和毅。ボクシング人気のために、日本中が注目するビッグマッチを実現したい」
ボクシングをやり切りたい―。そう話す和毅の表情は晴れやかだった。


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