幻の京都新城出土の京都御苑、謎はまだまだ地中深くに眠る [ひよこ★]at EDITORIALPLUS
幻の京都新城出土の京都御苑、謎はまだまだ地中深くに眠る [ひよこ★] - 暇つぶし2ch1:ひよこ ★
20/08/10 11:43:22.85 DoL42OT49.net
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2020.8.10

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仙洞御所から出土した京都新城の石垣。背景の地層から仙洞御所が数々の歴史を経て現在に至っていることもわかった
 今年5月、豊臣秀吉が生涯最後に築いた城「京都新城」の石垣の出土が大きく報じられた。数少ない文献や絵図のみで知られていた幻の城だっただけに、研究者の驚きも大きかったが、出土した京都仙洞御所がある京都御苑(京都市上京区)にとっても大きな意味があった。京都御苑の歴史をこれまでの調査などとともにひもといてみた。(園田和洋)
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過去の災害の証しも
 京都市埋蔵文化財研究所が行った京都新城の説明会。地上から3メートル近く掘り下げた地中から出た石垣の横で担当者は、「築かれた同じ地層から秀吉時代の金箔瓦(きんぱくがわら)が出土したため、新城とわかりました」などと説明した。
 もちろんここで注目すべきは石垣だが、その少し上にある秀吉の安土桃山時代から現在に至る地層の断面にも驚かされた。京都新城は徳川幕府に解体されるが、その後、後水尾天皇の天皇退位後の御所となる仙洞御所を造営するため、寛永4(1627)年から始めた土木工事による整地層がはっきりとわかるからだ。
 さらに、その地層の上には高さが約1・5メートル積み重なるように幾重もの層も見て取れる。それは天明8(1788)年と嘉永7(1854)年に起きた火災跡や、近くを流れる鴨川でたびたび起こった氾濫の跡だった。
 京都新城を調査した市埋文研の南孝雄調査課長は「現在の京都仙洞御所は、火災や水害が起こるたびに土で埋めては改修を繰り返し、約400年かけて当初から1・5メートル高くなってきたことを物語っている」と説明する。
深く掘れる好機会
 市埋文研によると、御苑内での発掘の機会は建物の新築に伴うケースがほとんどで3、4年に1度というペースがやっと。しかも建てられるのは基礎の浅い建物が多く、深く掘る機会がそもそも少ないという。京都仙洞御所のこれまでの発掘調査の深度もだいたい50センチ前後で、古くても江戸時代中期の18世紀前半の地層に届くのが精いっぱいだった。
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