20/02/23 14:54:25.95 CAP_USER9.net
URLリンク(mainichi.jp)
会員限定有料記事 毎日新聞2020年2月23日 13時00分(最終更新 2月23日 13時00分)
URLリンク(cdn.mainichi.jp)
旅館の受付に立つ樋田勇人さん。胸には「15代目です」と手書きされたネームプレートが付けられている=群馬県長野原町川原湯で、2019年12月5日午前10時56分、西銘研志郎撮影
<15代目です>。作務衣(さむえ)の胸のネームプレートにはサインペンでこう書かれている。
八ッ場ダム建設に伴い代替地に移転した群馬県長野原町の川原湯温泉で、創業360年を誇る老舗旅館「山木館」。樋田勇人さん(25)が跡取りとして働き始めたのは大学卒業後の2017年春だ。いつも明るく仕事をこなすその姿は、まさに「好青年」という言葉が似合う。だが、本人は自分の性格を「ポジティブではない」と語る。取材して何度目のころだろうか、突然、記者にこう打ち明けた。「実は俺、高校生のころ引きこもっていたんですよ」
◇ ◇
樋田さんは高校まで前橋市で過ごした。父は会社員、母は専業主婦。中学生のころは「真面目」な少年だった。勉強が得意で、親からは医者になることを期待されていた。だが高校で県内有数の進学校に入った後、歯車が狂い出す。得意なはずの勉強でつまずき、卓球部でもけがをして挫折を味わう。親の期待をプレッシャーと感じるようになり、毎晩部屋で泣く日が続いた。次第に学校からも足が遠のいていった。
ふと振り返った時、これまでは家庭で敷かれたレールの上を歩くだけの人生だったと気付いた。「学校で学ぶことに意味は無い。自立し金を稼ぐやつの方が偉い」。そう考えてアルバイトをしようと思い立った時、山木館の女将(おかみ)で、父親のいとこの文子さんから声をかけられた。
「アルバイトをするならうちでやってみない?」…
この記事は有料記事です。
残り512文字(全文1112文字)
■関連スレ
(上)【八ッ場ダム】なぜ青年はダム湖に沈んだ老舗旅館に養子に入ったのか
スレリンク(editorialplus板)