20/06/02 08:35:41.42 PD0eB30k.net
「らせん型」について言いたいんですけど、
こういう話ですね。
「回転しながら縦軸(神の位置)に近づいていく」
という形でしか天国は実現しないということですね。
三位一体は「父・子・聖霊」ですけど、
ヤドカリの殻のらせん形で例えれば、
殻のとがった頂点が「父」の位置(縦)、
ぐるぐるの円状が「聖霊」の位置(横)、
この縦と横の交点(回転の中心)が「子」の位置ですね。
この「回転の中心」というのは球技で言えば「ボール」なんですね。
ボールというのは「無垢な生贄(いけにえ)」であり、
つまり、「子なるイエス」ですね。
ボールが存在するから、あれやこれやとプレーできる。
球技においてボールは絶対君主で秩序の中心ですが、
それに文句を言う選手はいない。
むしろ、ボールが存在するからこそは選手は選手であり、
言ってみれば「人格」のようなものが与えられる。
(ポジション、役割など)
(つづく)