20/04/26 21:22:08.38 sEoH42H+.net
>>962
これは後から
「これがそう(艱難時代、携挙など)だった」
というべきなんですね。
というのは、相似形になってるんですよ。
「艱難時代、携挙っぽい現象A」に続いて
「艱難時代、携挙っぽい現象B」が来る、さらに、それに続いて
「患難時代、携挙っぽい現象C」が来る、さらに…
というように、先鋭化しながら似たような現象が繰り返される。
例えば、終末には「火の裁き」があるわけですけど、
これは「世界大戦」もそれっぽい感じがある。
これが、さらに時代が進むと「霊的な枯渇」というように、
さらに、厳しいものになってくる。
だから、どれが最後かは後になってみないとわからないですよね。
ただ、私は前から言ってるように「かなり来てる」とは思ってます。
これは色々な根拠がありますけど、
わかりやすい例で言えば、金利がゼロになるのは、
少なくとも「投資先はかなり枯渇してきている」ということですね。
だから、らせん階段の最後の一周がどこかは
後になってみないとわからないが、登ってるうちに、
「ああ、だんだん一周の間隔も短くなって、そろそろ頂点かな」
というような感触はある。