16/03/13 20:51:43.29 KY2AWzyW.net
格差には絶対的格差と相対的格差がある。いまの日本は相対的格差の時代である。
絶対的格差とは、一歩うしろに餓死の危機が迫っている人間と、餓死の心配の全くない人間との差である。
相対的格差とは、餓死の心配は両方ともないが、収入の少ない人間と多い人間の差である。
絶対的格差の時代を知っている人間から見ると、あるいは、絶対的格差の状態にある後進国の人間から見ると、相対的格差の社会になれば、事実上、階級とか格差とかいうものは無くなってしまうような気がするだろう。
低収入な人間でも、本人さえ、これで満足だと思いさえすれば、それで平等な社会の誕生ということになるからである。
事実、それは低収入の男が一生独身で終わるつもりなら、いまでも、その推測でまちがっていないのである。
しかし、結婚して家庭をもつということになれば、この相対的格差が男にとって命取りとなるのが今の日本、及び豊かな先進国全ての現実なのである。
女は豊かな社会になれば、腐敗し高額淫売に堕落し、男をみる時は絶えず男の収入を比較して見るようになる。
最初のうちは、正当防衛的な欲求であったものが、次第に、きりも果てしもない、腐敗と堕落の浪費へと知らず知らずのうちにエスカレートして行くのである。
こうして、本来存在するはずのない階級、消えたはずの階級が、腐った女の手によって復活したのである。日本の階級は、高額淫売化した女の腐敗と堕落によって確立され、維持されているのである。
低収入の男は、恋愛・結婚から排除され、その結果、人口減少が起きる。
貧しい時代には誰にでもできていた結婚が、限られた者にしかできないものになって行く。それが相対的格差の恐ろしさである。