16/02/17 15:07:19.30 .net
農村を子孫断絶に追い込んでいる農村の嫁不足は人口減少の問題を象徴的にあらわす現象である。
ところが、農村の嫁不足の問題をテーマにした小説や映画やドラマをさっぱりみかけない。そうした、エッセイもみかけない。
日本社会の重大テーマであるのに、なぜ、それをテーマにした作品が存在しないのだろうか? なぜ、その評論が存在しないのだろうか?
それは、そのテーマが、どんな風に描いてみても、フェミニズム批判、女性批判に直結してしまうからである。
フェミニズム批判、女性批判は、直接、間接を問わずマスコミの世界では徹底的に抹殺されてしまうのが今の日本社会なのである。
極左集団と反日工作員に完全支配された今のマスコミ界においては、フェミニズム批判、女性批判は、一言半句といえども容赦なく断固抹殺されてしまう。
フェミニズム批判は、中小企業労働者と大企業エリートの賃金格差の問題に発展してしまうから、左翼マスコミは断じて、それを許容することができない。なぜなら左翼マスコミは、エリート利権の飼い犬に腐り果てているからである。
この国には本当の意味での言論の自由が無いのである。
日本マスコミにおいては、フェミニズム批判、女性批判は絶対のタブーなのである。
「これは、フェミニズムに抵触しないだろうか?」いつもビクビクと、マスコミ・出版社の顔色を伺いながら、震える指で執筆をつづけている、哀れな文化人の姿が目にうかぶ。