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4WDの三菱復活へ! RALLIARTコンセプト登場で三菱復権の期待!!
2022年2月28日 / コラム
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 東京オートサロンでお披露目された「VISION RALLIART CONCEPT」によって、三菱の
ブランド「ラリーアート」復活が話題だ。
 1982年のWRC参戦から始まった三菱の国際戦略にあって、その翌年から発足した
「ラリーアート」ブランドは、WRCでの大活躍、パリダカ優勝などを経て、三菱自動車が
世界的なブランドへと成長する礎ともなった。
 しかし、リーマンショックや不祥事で経営の立て直しを迫られるなかで、ラリーアート
を含む三菱のモータースポーツ活動全般が「リストラ」の憂き目に遭ってしまう。

 そんな経緯もあって一度は消えてしまったラリーアートだが、今回のコンセプトモデル
お披露目で名ブランド、そして「4WDの三菱」復活への希望が見えてきた!
文/国沢光宏
■「三菱の魂」 ラリーアート開設への道のり
 新型アウトランダーPHEVが絶好調だ。2022年2月上旬時点で1万台のバックオーダーを
抱え、納期も5カ月以上という久し振りの明るい話題になっている。
 クルマ好きの間ではアウトランダーPHEVより話題になっているのがラリーアートの復活
だ。ラリーアート、明確なモータースポーツ嫌いだった益子修前社長によって処分されて
しまったけれど、三菱自動車の魂のような存在でした。
 そもそも三菱自動車が世界的なブランドとなる発端は、1982年にWRC1000湖ラリーで
デビューした初代A175ランサーである。このクルマを使い、本格的な国際戦略をスタート
させた。
 翌1983年、欧州でラリーアートを開設。欧州の橋頭堡(きょうとうほ)として活動を
開始し、グループBのスタリオンこそ実戦投入できなかったものの、グループA仕様で参戦。
6代目ギャランVR-4、初代ランエボへと引き継がれていく。
同時進行形でパジェロを使ってのパリダカ参戦も始まった。こちらも1984年の参戦車から
ラリーアートのステッカーが貼られている。
 当時、三菱自動車のマーケティング部門にはモータースポーツ好きの戦略家などおり、
開発部門と二人三脚で三菱自動車のブランドイメージについて、木全巌氏と篠塚建次郎
さんを担ぎ、WRCとパリダカというモータースポーツで作り上げようとしていた。
■リーマンショックや不祥事が続き……立て直しへモータースポーツはリストラの憂き目に
 ご存じのとおり、おふたりとも素晴らしい活躍や成果を残す。木全さんが率いるWRCは1
996年あたりから優勝争いの常連になり、1998年にシリーズチャンピオン奪取! 篠塚さん
も1997年にパリダカで優勝した。
 1990年代中盤の三菱自動車の輝き方はパンパなかったと思う。ラリーアートの
ブランドイメージも世界規模になり、三菱自動車以上の存在だったかもしれません。
 絶好調だった三菱自動車ながら、相次ぐ不祥事に続くリーマンショックでガタガタに
なってしまう。破綻してもおかしくなった経営を立て直したのが、三菱商事から送り込ま
れた益子前社長だった。
 続く


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