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第2に、日本の企業や学校では重篤な障害や死亡事故でない限り、選手の疾病やけがで指導者の責任が問われることはきわめて稀である。ところが欧米では指導母体がスポーツクラブであるため、けがが頻発するとクラブの評判が悪くなり経営にも影響する。また、将来有望な選手が指導上の問題でけがをすると、クラブや指導者が裁判に訴えられることもある。そのため、クラブの経営者や指導者はけがや疾病に対して細心の注意を払うだけでなく、その予防と早期発見の体制も充実して選手の健康や安全(ソフトやハードの備えなど)面の充実度がクラブの謳い文句になる。
第3に、身体の異常は本能的な要素と経験や知識の学習による直観的なものとの総合された能力によって感知される。その異常は求心神経を経由して大脳に伝えられるものの、とかくスポーツ選手は体力に自信があるだけ率直に受け入れない。すなわち、危険に瀕しても自分だけは大丈夫だとリスクをなるべく差し引いて考える「正常化の偏見」にとらわれがちである。例えば、主観的に自分は病気かもしれないと感じても、いやそんなことはないと否定したり、重篤な疾病の前兆であってもたいしたことではないと割り引いて考える。そのため、対応が遅れ結果的に手遅れになることも少なくない。このような主観的な判断の危うさに比べモニタリングによる客観的データはその異常さを論理的に証明すると、ヒトは納得せざるを得ない。