16/04/16 20:34:29.88 jBO5SW0e.net
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戦前は「三田の理財、早稲田の政治、駿河台の法学、白山の哲学」と称された・・・?
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原田謙次 『校歌と校風』 北光書房、昭和18年
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「今、駿河台には日本大学の工学部も出来、中央大学も引越して来たけれど、
そのかみは駿台といへばニコライと明治大学のみをすぐに思ひ浮べる程であつた。
『白雲なびく駿河台』を土地高うして白雲なびくと文字通りに取るならば、
わづかの丘なる駿台を知る者は、あまりにも誇張に過ぎたる表現と感ずるであらうけれど、
日本人に共通なる感激の思ひで多き『明治』の名を思ふ時、芙蓉の峰の聖き姿に
靉靆としてたなびく白雲が眼に浮び、その白雲につながる思ひは際限ない」
「明大には、本校の業をふむ者のほかに、他校に進んだ者の中にも
受験準備の予備校として通つた忘れがたき期間もあつて、
多くの人人の思ひ出が漂ってゐるわけである」
「明大は即ち駿台の覇者にして神田一帯を睥睨し、
また私学一方の旗頭として全国に意気を示してゐる」
駿河台=ニコライ堂または明治大学である。
ちなみに、『校歌と校風』では東洋大学は紹介されていない。