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弘道会
1984年(昭和59年)、弘田組若頭・篠田建市(渡世名 司忍)が弘道会を結成。四代目山口組若中となった。
同年、四代目山口組と一和会は抗争状態に発展した。
「山一抗争」
1985年(昭和60年)2月、菱心会幹部だった竹内照明らが一和会・二代目山広組後藤組若頭・吉田清澄を拉致した。後藤組は解散。
同年4月、薗田組組員が一和会水谷一家の組員2人を拉致し1人を射殺、1人が重傷。
1988年(昭和63年)4月、司道連合組員が一和会加茂田組二代目花田組組長・丹羽勝治を射殺。
1990年(平成2年)、波谷組と抗争。
「山波抗争」
1991年(平成3年)、中京五社会・運命共同会・鉄心会と抗争。
「名古屋抗争」
この抗争で中京五社会は瓦解。地元組織の多くを傘下に吸収した。
平野家一家、徳心会、中京浅野会等が弘道会に加入。
導友会は益田(啓)組に加入していたが、1997年(平成9年)2月、益田(啓)組が解散すると弘道会に移籍した。
1997年(平成9年)12月、長い間弘道会と対立してきた九代目稲葉地一家が弘道会に加入した。
2003年(平成15年)、住吉会・親和会と抗争。
「北関東抗争」
2004年頃、佐賀の西部連合が弘道会に加入。
2005年(平成17年)3月、弘道会若頭・髙山組組長・髙山清司が二代目を継承した。司忍は弘田組組長を名乗った。
同年5月、司忍が五代目山口組若頭に就任。
同年7月、司忍が六代目山口組組長に就任。
同年、解散した熊本連合傘下の西心会が二代目弘道会に加入。
2013年10月、二代目髙山組組長・竹内照明が三代目を継承し、先代の髙山清司は総裁に就任した。