23/10/16 19:08:25.08 0.net
三代目逝去後、舎弟衆は皆顧問に直った。顧問が跡目を襲う道理は尚更ない。
四代目を噂されていたのは、
山本広・・・筆頭若頭補佐。本家代表。
小田秀臣・・・肩書が一番多かった。だが明友会出の外様。本人も分かっていたのだろう、若い中山を推した。五代目体制における宅見を狙った。しかし中山に断られ、竹中とは反りが合わず、山広を推した。
中西一男・・・なし。親山広の中立。
竹中正久・・・説明不要。
益田佳於・・・なし。
加茂田重政・・・四代目候補と自ら公言していた。あれは吹きまくって、と山健は苦虫顔。だが素直な所もある、と評価してはいた。
中山勝正・・・小田秀から神輿に担ぎ上げられそうになったが、断った。 フミ子「いずれ山口組の跡目を継ぐ男や。ただ一つだけ問題があって、あまりにも若すぎるいう事や」