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梶原清晴若頭 溺死時点での若頭補佐
山本健一、山本広、小田秀臣、小田芳一、菅谷 政雄、中西一男
梶原清晴、山本広、小田芳一、清水光重(のちの若頭補佐)の4人は、運命共同体的な契りを交わしている事が露見して
田岡親分にたしなめられた。田岡の子である以上皆必然的に兄弟なのに、なぜ派閥を作るような真似をするのか、と。
いずれにしろ梶原内閣の中では、山健は浮いていた。ハブられていた。
山本健一・・・反山広、反菅谷
山本広・・・反山健
小田秀臣・・・後任の若頭には唯一山健を推した。その功績で本部長に。
だが後々、山健とはそりが合わなくなる。一和会参画、副会長を約束されていたが子分たちが離反して引退。
小田芳一・・・反山健 山健がカシラやるくらいやったらカシラ補佐を降りると食ってかかって、実際降りた。
菅谷 政雄・・・反山健 ヤクザとしてのスタイルが何もかも真逆だった。扱いやすい山広を推した。
中西一男・・・親山広 四代目問題の時も山広寄りの中立だった。フミ子姐に説得され竹中擁立。