【四代目山口組】山一抗争part44【一和会】at 4649
【四代目山口組】山一抗争part44【一和会】 - 暇つぶし2ch347:名無番長
22/01/28 21:42:24.56 0.net
当時若頭であった山本健一は両組織傘下組長と直接会って事情を聞いた上で、菊田と安を「統率力なし」として除籍処分とした。
その後、瀬古安会は副会長であった野田弘治が野田組を結成し、菊田組は舎弟頭であった近藤慶文が近藤組を結成した。そしてこのような旧瀬古安会と旧菊田組の幹部9人が集まって、昭和53年(1978)に「山心会」を結成され、本部預かりとなった。組織運営は、合議制であった。
「山心会」は寄り合い世帯ということもあって内部対立が絶えなかった。昭和54年(1979)、柳ヶ瀬の喫茶店の路上前で、野田が拳銃で同じ山心会西条組の準幹部に撃たれた。野田はこの襲撃の後に死亡した。
直接的な原因は、もともと野田組の縄張りであった店に西条組がルーレットをつけたことであるが、寄り合い所帯の山心会内で主導権を握っていた野田に対して、西条組が山心会の主導権を握ろうとしたことが主因である。
この後も内輪もめによる拳銃乱射事件が相次いだ。よって山口組本家は本部長・小田秀臣を岐阜に派遣し、昭和54年(1979)に二代目野田組組長・本田健二、近藤組組長・近藤慶文、足立会会長・足立哲雄、坂廣組組長・坂井廣、川合組組長・川合康允、中尾組・中尾春男、雄心会会長・後藤昭夫、則竹組組長・則竹武由を同時に三代目山口組直参に昇格させた。三代目山口組時代は、この8組長に中谷組組長・中谷利明を加えた9人が「岐阜九人衆」と呼ばれた。


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