21/05/14 10:32:01.74 0.net
>>516
(4)、山口組の返し(四代目山口組→東組)
①、野村組幹部襲撃事件
・昭和62年(1987)5月6日、三重県鷲尾市にある東組系野村組事務所前で、野村組幹部が山口組系ヒットマンに襲撃され、重傷を負った。
②、東組舎弟射殺事件
・同年5月16日、堺市内の病院で入院をしていた東組総長・東清の舎弟が、病院のベットの上で山口組系ヒットマンに射殺された。
(5)、須藤組本部襲撃事件(東組→四代目山口組系須藤組)
・昭和62年(1987)5月17日、大阪ミナミの繁華街の端にある須藤組本部を、東組系関谷組組員・木村雄治が襲撃をした。木村は、須藤組事務所にいた須藤組の幹部達に立て続けに発砲をし、2人を射殺した。
(6)、山口組対立抗争事件総合対策本部
・昭和62年(1987)5月18日、大阪府警は「山口組対立抗争事件総合対策本部」を立ち上げ、両者に抗争中止を勧告して取締まりを強化した。この後発砲事件が2件おきたのみで、抗争は膠着状態となった。さらに大阪府警は、東組総長・東清や五友会会長・田中五男ら双方で53人の組員を逮捕していった。
(7)、東組幹部射殺事件(四代目山口組系須藤組→東組)
・昭和62年(1987)9月23日、大阪の住之江競艇場近くで、東組系柴田組幹部が、待ち伏せをしていた四代目山口組系須藤組組員によって射殺された。
(8)、須藤組本部トラック襲撃事件(東組→四代目山口組系須藤組)
・昭和62年(1987)10月5日、東組は返しとして、須藤組事務所へ二トントラックを突っ込ませ、発砲をした。
(9)、手打ち
・過激化する抗争に対して、四代目会津小鉄会や五代目酒梅組、さらには稲川会も和解工作に乗り出し、昭和62年(1987)10月28日、京都の料亭で手打ち式が行われた。