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浪速会という愚連隊は金城徳治という人物が会長をしていたが、金城が逮捕され長期服役を余儀なくされたため太田が浪速会会長に就任する。
浪速会には後に三代目山口組菅谷組の幹部となるサージこと生島久次も在籍していた。
浪速会の頃は鋳物工場で働いていたが子分が殺人を犯してしまい工場から追い出される。
その後は人夫出しや単車泥棒をして生計を立てており、太田は単車泥棒で懲役4年を受けて服役している。
これ以外も合わせると懲役合計は16年ぐらいになるとのこと。
後に山口組と抗争する明友会の小田秀臣グループ(後に山口組入り)と喧嘩になったこともあったようだ。
健竜会会長・渡辺芳則にスカウトされた時、渡辺と一緒に健竜会の中野太郎(後の五代目山口組若頭補佐・中野会会長)と
桑田兼吉(後の五代目山口組若頭補佐・三代目山健組組長)も居たという。
刑務所で知り合った友人が渡辺に太田を推薦したことがきっかけだった