19/10/19 18:36:54 0.net
>>141
住吉一家は関東屈指の金筋博徒。
博徒の生業は本来は縄張り内の賭博の寺銭であり、ミカジメ、守り料などと称される歓楽街の用心棒代は戦前はどちらかというと暴力団や愚連隊のシノギだった。
住吉一家は博徒だが客分には芝浦港の港湾ヤクザである高木康太親分がいて、高木親分の代貸だったのが後の住吉一家三代目総長、阿部重作親分。
阿部親分は「芝浦の親分」と慕われ、若手の博徒貸元や愚連隊の頭などを多数従えていた。
その中では、益戸克己氏は浅草、上野から有楽町、銀座界隈を、浦上信之氏は銀座を、塚原崇司氏は新宿をそれぞれ仕切っていた。