19/06/11 20:20:11.87 0.net
>>612
違う、元々は浅野と川内の争い
一心会と川内組系後藤組が内部抗争を起す
その仲裁をボスから頼まれた浅野が一心会に有利な判定をした。これに川内は不満を持った。
それからしばらくして、川内が組の副組長、坪川光彦を絶縁した。
その坪川が激怒して、子分に川内組舎弟頭を襲撃させて重症を負わせた。
川内は直ぐに報復をしようとしたけど、
そこに浅野が仲裁に入って、坪川を福井から追放する処分になった。
またまた川内は浅野に不満を持つ結果に。
それから、川内は菅谷組の幹部会を無断欠席したり、勝手に直参になろうとして破門。
川内破門後、福井を追放されていた坪川が福井復帰を目指す。坪川は兄弟分である浅野組副組長の小山敏夫を頼り、小山の支援のもとで福井に復帰、反川内組勢力を結集して共進会を結成。
これに川内激怒、共進会を襲撃。
福井県警が説得して坪川に事務所を閉鎖させた。
坪川や共進会は、川内組に屈したと思われたらメンツが丸潰れだと考え、川内の襲撃を計画。
更に川内は未だに直参昇格の工作を行っていた事から、菅谷組系の者達もこの計画に参加。
福井県三国町にある喫茶店で、浅野組若頭補佐の首藤新司、浅野組内共進会会員の中川徳治、波谷組組員の延岡朝夫、波谷組系藤島組準構成員・田中政治の4人によって、川内弘は射殺。