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「初めの頃、原田は、舛添の地元秘書のようなものだと話していた。そうこうするうちに、
県警本部の刑事から、原田が舛添を脅迫しよると耳にしました。
さらに今度は、溝下秀男総裁(当時)に呼ばれ、“原田のこと、抑えろ”って指示された。
それで、原田に会(お)うたら、資料をいっぱい持って、“舛添はカネに汚い、経費も交通費もくれない”と捲し立てていた」
原田氏は、舛添氏に対し、“脅迫状”も送っていたという。
「舛添からしたら脅迫状かもしれんけど、原田は、正当な社会正義なんだと説明しよった
説得には、数カ月かかりました。原田は、“黙認してもらいたい”と、舛添追及にものすごいこだわっとった。
盛んに裏切られたと口にして、悔し涙まで流しとった。最後には慰留し、脅迫は引っ込めさせた。
原田はカネにいい加減だったから、言い分を鵜呑みにできんところもある。
ただ、舛添には、腹を立てたまんま、3、4年前に他界したんよ」(同)
「特集 首の皮一枚でつながった『舛添要一』都知事を褒めよ!」より
「週刊新潮」2016年5月26日号 掲載