三代目丸山組 和久井会 和久井一朗会長at 4649
三代目丸山組 和久井会 和久井一朗会長 - 暇つぶし2ch93:名無番長
15/11/12 13:17:31.29 0.net
>>87
7 :名無番長:2009/11/16(月) 22:52:04 O
赤川春生(あかがわ はるき)は日本のヤクザ。
二代目丸山組若頭。初代赤川組組長。
20歳のころ、職に就かず賭場に出入りする日々を送っていたが、賭場に客として来ていた丸山組舎弟の遠野芳雄と出会い、遠野組に出入りするようになる。
当時の丸山組内で最も金回りの良かった遠野から正式に盃を受けた後は、遠野から直接シノギの方法を教わり、経済センスを磨く。
その後はメキメキと頭角をあらわし、赤川組を立ち上げ、数十億単位の金を動かすまでに成長した。
その功績が丸山の目に止まり、直参昇格の話が出るが、赤川はこれを拒否し引退を考える。
しかし、最終的には丸山の直参となる。
これについて赤川は「丸山初代は賭博以外のシノギをしておらず、金に困っているから、私を直参にして莫大な会費を取ろうとしていると思っていた。
しかし実際は必要以上の会費など無く、逆に直参になってからはお年玉やお小遣を頂いた。
金額的には私が稼いでいた額からすれば小銭のようなものですが、気持ちに心を動かされました。
ヤクザでありながら、賭場だけで金を稼ぐということを馬鹿馬鹿しく思っていましたが、それも私自身の精神的な未熟さをあらわにする考えでした」と語っている。
丸山に尽くすことを心に誓い、任侠道を邁進していたが、1995年に丸山が死去。
大きな悲しみにくれたが、借りを作ることを嫌った丸山を想い、香典は一切受け取らず盛大な葬式を挙げたのたのも赤川の資金力のおかげによるものだったと言われている。
高村政樹を組長とする二代目体制になってからは、若頭となり組の運営に従事。
丸山が残した丸山組の暴力性に資金力と先見力を加え、他の組を圧倒し、関西での地位を不動のものにした。
また、一見するとヤクザには見えず、大企業の重役のような風貌とたたずまいであったためか、堅気からも慕われ、人脈も幅広く、政界や財界にも太いパイプも持っていた。
高村が引退した際には、三代目になると思われていたが、高村と共に身を引くのが筋だとし、莫大な資金を組に残して引退した。
代紋を使って稼いだ金は全て組に置いておくのが筋という考えからだったといわれている。


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