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山口組は、他の組織と「盃外交」を展開して平和外交路線を敷いているが、国粋会や落合金町連合
といった2次団体を東京に置いたことが証明するように、友好の姿勢を見せながらも進出。その強引さが、
「弘道会方式」と恐れられた。
安藤隆春・警察庁元長官は、「弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして
暴力団の弱体化はない」という有名なセリフを口にし、「弘道会壊滅作戦」を指示した。
だが、弘道会は警察や行政と敵対する一方、中央集権で傘下組織を押さえ込んできた。さらには、
平和外交と言いつつ他の組織の縄張りを侵食する手法は、暴力団社会からも警戒されていた。
山口組の分裂は、弘道会が推し進めてきた統治手法への反発がベースになっている。そのため他団体
のなかには、神戸山口組と親戚関係を取り結ぶ動きがすでにある。
住吉会のなかでも最大級の勢力を誇る幸平一家は、加藤英幸総長が挨拶に訪れた。同じ関東の松葉会、
稲川会などの「離脱組」にもそういう動きがある。西日本や九州の組織も幾つか同調しそうだ。
山口組(弘道会)と神戸山口組(山健組)の対立は、全国の暴力団組織を真っ二つに再編する可能性
を秘めている。それは同時に、山口組が中心となって築いてきた「弘道会をトップにする暴力団
ピラミッド」を瓦解させることに繋がっている。