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平成15年(2003年)5月
最高裁は桑田兼吉の上告棄却し懲役7年の実刑が確定。
桑田は持病の悪化などで、勾留停止中だった。
同年7月
桑田は東京の飲食店で階段から落ち重傷を負い、
さらに収監が見合わされた。
平成16年(2004年)3月
桑田は東京拘置所に収監された。
平成17年(2005年)
橋本弘文は極心連合会々長として山健組から直参に昇格。
山健組は桑田の引退により、若頭に昇格していた井上邦雄が四代目組長に就任。山口組の五代目組長渡辺芳則は引退し、本家若頭に就いていた司忍が六代目組長に就任。山口組内は弘道会が主導し、山健組は沈下する事になった。
鶴城丈二を射殺した亀谷直人は、懲役20年の判決を受け服役している。繁田誠治は絶縁後の2003年11月に何者かにより神戸市内で刺殺され、後藤一男も2007年5月に同じ山健組の者により刺殺された。