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687 名前:名無し草[sage] 投稿日:2014/05/01(木) 20:25:38.96
前侍従長の渡辺允(わたなべまこと)(77)はいう。
「陛下は以前から広島や長崎の原爆の被爆者に心を寄せ、放射能の後遺症の苦しみもよくわかっておられました。
1986年のチェルノブイリ原発事故についてはとても強い関心をお持ちでした」
チェルノブイリの被害を受けた国から訪問客を迎えたときには、事故の影響や後遺症などについて、熱心に話を聞いていたという。
渡辺は、89年にベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終わったあと、天皇がこういったのを覚えている。
「これでチェルノブイリみたいなことは起こらなくなるだろう。壁がなくなって情報の流れがよくなり、
何が起こったか分からないうちに大変なことになってしまうようなことは、もうなくなるのではないか」
福島県の知事公室長兼秘書課長だった樵隆男(きこりたかお)(57)が宮内庁から
「両陛下がお見舞いのため現地を訪問なさりたいとのお気持ちです」と電話を受けたのは、
大震災からまだ1カ月もたたない4月上旬だった。
知事の佐藤雄平(さとうゆうへい)(66)は訪問を喜び、4月15日に県庁にチームをつくって準備にとりかかった。
ただ、樵には「こんな時期にお迎えしてよろしいものだろうか」という躊躇(ちゅうちょ)があった。
県民は県内外を転々と避難していた。県内の学校の入学式は延期され、
野菜や魚から放射性物質が検出され、出荷制限や摂取制限がなされ……。
そもそも、福島市内の放射線量がまだ高かった。(北野隆一)
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