14/06/30 10:14:55.12 0.net
■立憲主義への明らかな挑戦状
安倍政権は、とにかく集団的自衛権を認める結果ありきに突っ走っています。国民の生命と財産を守るのが政府の役目であることは
当然ですが、警察権から徴税権、時には国民の自由を制約する権利まで行使して、国民を守る大きな権限を委任されている政府で
あればこそ、その枠組みを守り、改正するプロセスに関しては慎重でなくてはなりません。今回の安倍政権の暴走は、わが国が
積み上げて来た立憲主義に対する明らかな挑戦です。
■憲法改正を国民に問うのが筋
どうしても集団的自衛権の行使が必要であるならば、憲法改正を発議し、堂々と国民投票に問うのが筋です。安倍首相は就任当初、
憲法96条の改変(=憲法の改正要件を国会議員の2/3から1/2への緩和する改変)を積極的に進めようとしていました。しかし、
何を変えるのかを明示せずに憲法改正のハードルだけを低くする筋の悪さに対し、各方面から懸念が示され、今はその矛を収めている
様子です。そもそも、この発想は邪道です。幾度と憲法改正が行われてきたアメリカ、ドイツなどでは、日本の現行規定と同じく、議会の
2/3をもってして改正の発議がなされます。世界的に日本だけが高いハードルというわけではないのです。
■大きな歯止めを外した責任は大きい
今回、よく「外的環境の変化」が取り上げられます。アメリカの財政制約や国内世論によって相対的なアジアでのプレゼンス低下が
懸念される一方、中国の拡大志向が東アジアの秩序形成に大きな変化をもたらしていることを、私も認識しています。そこで今の政府は、
あらゆる事態を想定して集団的自衛権が行使できるようにする、そのために必要な措置であると言いますが、日本国民の生命と財産を
守るためには、個別自衛権や警察権で十分だというのが今までの認識です。それを越えて集団的自衛権行使容認にまで持って行くこと
へ、国民世論が十分について行っておりません。「歯止めをかけるから大丈夫」と言いますが、今回の行為は、大きな大きな歯止めを
外すことです。
■集団的自衛権行使と在日米軍の問題を平行に論ぜよ
集団的自衛権行使に、安倍政権が一歩踏み出しました。「普通の国」になると主張するならば、日米安全保障条約の見直しも含めた、
在日米軍の整理について前進させなければ、筋は通りません。日米安全保障条約では、第5条に米国の対日防衛義務を、第6条には
日本国内での米軍基地等提供義務を謳っています。在日米軍がこのままでありつつ、一方で日本の自衛隊が安倍総理の言う「普通の国」
としての義務を果たすのであれば、基地提供や思いやり予算が今まで通り続くことはある意味で不平等です。この点に着手しないので
あれば、安倍政権はただのアメリカ追随政府と言われても仕方ありません。
安倍さんは、「とにかく憲法を変えたい! 集団的自衛権行使に道筋をつけたい!」と、結論ありきの部分が何とも不自然で嫌なところ
です。「普通の感覚」と「常識的な立憲主義」が通じる国に、私はしたいと思います。
ソース(BLOGOS、前衆・民主/倫理選挙特別委員会理事 石井登志郎氏)
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