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2011.3.25 21:50
津波が押し寄せ、軽飛行機が浮かんだ仙台空港。早期の再開は困難と思われたが、被災5日後の16日には早速メーン滑走路を
使って空輸を開始、被災地への物資輸送の拠点として大いに役立っている。早期再開の陰には、がれきの撤去までした在日米軍の
協力があった。(徐暎喜)
空輸が再開した仙台空港に輸送機が到着した。運ばれてきたのは、水や食料など被災地への救援物資。降ろされた物資を、日本の
自衛隊の隊員らとともに在日米軍の兵士らが自衛隊のトラックに積み込む。トラックが向かう先は、被害の大きい太平洋沿岸の
避難所。運搬する自衛隊員は「これまで気仙沼や石巻を回った」と話す。
在日米軍は震災直後から、仙台空港を救援物資の運搬拠点として利用しようとしてきた。しかし、空港はがれきだらけ。国土交通省
東京航空局仙台空港事務所の大坪守所長が「空港全域が水没し、復旧のめどが全く立っていない」という状態だ。
このため、在日米軍は横田基地(東京)や嘉手納基地(沖縄)などから214人の兵士を集め、自衛隊員らとともに、滑走路のがれき
撤去に取りかかった。フォークリフトなどの重機も持ち込み、津波で流されてきた乗用車を撤去。必死の作業でメーン滑走路を確保し、
16日から離着陸が可能になった。まだ民間機の離着陸はできないが、現在、米国内や、国内外のボランティア団体などから届いた
物資を1日平均11機の輸送機で運んでいる。
在日米軍はシャベルを使って手作業で泥を空港建物から取り除く作業にも従事。今後、津波で1階部分が完全に水没し、電気や
通信設備のほとんどが使用不能になったターミナルビルの復旧にも携わる予定だ。
日米共同調整所仙台空港現地調整所長の笠松誠1等陸佐は「米軍が早い時期に空港に重機を持ち込んで整備してくれたことで、
救援物資の拠点として活用できるようになった。感謝している」。米海兵隊のクレイグ・コゼニスキー大佐は「復旧のため、
日米合同で作業を続けたい」としている。
ソース:
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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※依頼があり立てました。