11/03/25 22:14:37.06 0
津波はすぐそこまで来ていた。近所のお年寄りを乗せると車は定員オーバー、1人が降りなければならない。
「私が残る」と家に残った妻は津波にのまれ、助けに向かった夫も津波に消えた。岩手県陸前高田市を
襲った大津波は仲の良い家族と近所の人たちに「だれか1人が死ぬ覚悟を」と過酷な選択を迫った。
JR駅前で写真店を経営する菅野有恒さん(56)と太佳子さん(55)夫妻が、離れて独り暮らしを
する母光子さん(87)を車で助けに来たのは、地震から十数分後のことだった。
「おふくろ、早くしろ」。急いで薬と保険証をリュックに入れ、家を出る。すると、近所の独り暮らしの女性ら
3人が道路にいた。全部で6人。
小さなワゴン車に乗れるのは5人だけだ。顔を見合わせると、「私が残ります」。太佳子さんが申し出た。
有恒さんもうなずいた。
「後ろの荷台に乗れるでしょ」。光子さんが叫んだが、太佳子さんは笑顔で首を振った。車は太佳子さんを残して急発進した。
避難所の入り口で降ろされた光子さんらは、ごう音とともに建物をなぎ倒す津波を見た。「おふくろを頼みます」。
近くの人に言い残し、有恒さんの車が猛スピードで引き返し、津波の中へ突っ込んだ。「ああっ」。車が見えなく
なってすぐ、波が街をのみ込んだ。
避難所では、有恒さんの車に助けられた女性たちと枕を並べる。「息子さん夫婦に命をいただいた」と涙ぐむ
女性たちに気兼ねして、光子さんは「避難所では泣けません」と気丈に笑う。
でも、本当はつらくて、眠ることができない。息子は嫁を残したことを悔やんだに違いない。引き返す時
「命が危ないのは分かっていた。でも、行くなとは言えなかった」。そっと避難所を抜け出しては近くの公園で
お経を唱え、人目を忍んでおえつを漏らす。
23日の午後、小さな避難所の片隅で、光子さんが家族と写る年賀状をいとおしそうに見つめていた。アルバムは
すべて流された。これが唯一残る家族の写真だ。来年はみんなで撮れないかもしれない。(浅井俊典) 中日新聞(CHUNICHI Web)
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