11/03/22 12:02:39.95 0
>1から続き
入院患者に被ばく者が出たと報じられた双葉厚生病院に向かったが、ここも無人。玄関には患者を運び
出したとみられるストレッチャーが何台も放置され、脱出時の慌ただしさがうかがえた。地震で倒れた医療
機器や診療器具が散乱。消毒薬の臭いが漂う。
原発から約3キロの同病院前でも測定器の針は100マイクロシーベルトで振り切り、上限に張り付いた
まま。そこで1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)まで測定できるガイガーカウンターを取り出した
が、これもガリガリガリと検知音を発し、瞬時に針が振り切れた。「信じられない。怖い」。私は思わず声に
出していた。
放射性物質の違いなどにより同列に論じられないにしても、これまで取材した劣化ウラン弾で破壊された
イラクの戦車からも、今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも計測したことのない数値だった。
放射能汚染地帯の取材経験が一行の中で最も多い広河さんも信じられない様子。「これから子どもを
つくろうと思っている人は、車から降りない方がいいかもしれない」と真顔で言った。
放射能は風向きや地形によっても異なる。もう少し調べようと海岸に向かったが、病院から数百メートル行った所で津波に運ばれたがれきと地震で陥没した道路に行く手を阻まれた。放射能汚染に気を取られ、
しばし忘れていたが、紛れもなくここは巨大地震と大津波の被災地でもあった。その被災地を五感では
感知できない放射能が襲っている。
慌ただしく町中の取材を終え、汚染地帯を脱しようと急いで帰る途中、町方向に向かう軽トラックに出合う。
車を止めて汚染状況を説明すると「避難所にいるんですが、牛を飼っているので餌やりに行かないと。だめ
ですか」。私に許可を求めるような困った表情で年配の女性が聞いてきた。「長い時間はこの辺にいない方
がいいですよ。気を付けてください」。そうお願いするしかなかった。
>3以降に続きます
(以上)