08/05/21 22:10:53
現在、日本で最も人気のあるドラマシリーズである「ごくせん」という番組で、看過できない内容があった。
ごくせんは不良学生を極道の娘の女性教師が更正させる話だ。様々な卑怯な人間に立ち向かうストーリーを、現代版「水戸黄門」と評した
人がいたが、確かに痛快なドラマである。
教師や大人が劣等生に冷たかったり保身を考えてばかりだったりと、ずる賢そうに描かれている。教師の権威が低下する中、さらにその
印象を強めるのはどうかと思うが、大人への反抗は思春期の普遍的なテーマと言えるだろうから、ここでは問題にしない。
私が見た回で、問題だと思ったのは、秀才学校の生徒のほうが不良より性格がねじ曲がっているかのように描かれている点だ。勉強の
できない人間を、「覆面+鉄パイプ」で「世直し」と称して襲うという設定である。この手の「秀才=悪」「不良=心はきれい」という図式は、
ある種の青春ドラマのステレオタイプのようになっている。
2年前、奈良で進学校の生徒が自宅に放火して、兄弟と母親が犠牲になった事件があった。この時も、勉強ばかりしている青少年の危険性を
ことさらに強調する識者が少なくなかった。だが現実には、こうした進学校の生徒による殺人事件は、過去20年間に1度も起こっていなかった。
全国の高校生の200人に1人以上が、東京大学合格者数ベスト20に入る高校に通っている計算になる。そして少年による殺人事件は年間
100件弱起こる。つまり、進学校の在校生や卒業生が殺人を犯す確立が一般の少年と同様と仮定すると、2~3年に1度は彼らによる殺人事件
が起こってもおかしくないが、実際には起こらない。
少年院に入るレベルの凶悪犯罪も8割は中学卒業者か高校中退者によるもので、大学に入学した未成年者による凶悪犯罪は年間10件
程度ということだ。要するに勉強をしている子の方が、不良よりはるかに安全なのである。「進学校の生徒がこの種のテレビ番組を見て
勉強をやめることはない」と、我が家の子供たちは言うが、問題はいわゆる劣等生への影響だ。
認知心理学の考え方では、人間は自分に都合の良い価値観を持ちがちだとされる。勉強のできる人間は勉強した方がいいという価値観を
持ち、そうでない人間は逆の価値観を持ちたがってますます勉強をしなくなる。
昨今の学力低下の問題は、勉強のできる子とできない子の格差が広がってきていることである。このような番組は勉強ができない人間の
価値観を強化し、ますます格差を広げる結果になりかねない。
ひと昔前とは違い、近隣諸国に学力で負け、まともに読み書きや計算ができない学生が増えている時代である。その現実を踏まえて、
番組作りを願いたい。
ソース(日経ビジネスアソシエ 6/3号 和田秀樹の心理学で時代を斬る)
URLリンク(business.nikkeibp.co.jp)