08/04/29 03:35:27 XNvlqA1S
知的であるというのは、単に生命種の性癖の一部分に過ぎない。
世界最高の権威ある地震学者になりたければ、ネズミやナマズとコミュニケーションを取れる研究をやればいい。
世界最高の権威ある気象学者になりたければ、ツバメや鳩とコミュニケーションを取れる研究をやればいい。
明日の天気を当てる為に、数学物理学地質学地形学etc.を総動員して、最先端技術の人工衛生やスパ
コンを駆使しても、馬鹿外れすることはよくあることじゃないか。
しかし100発100中に明日の天気を当てる地球で生きている生物種はいるだろう。
宇宙人から見て評価できる生命体は、知的生命体ではなく、高等的生命体なのだ。
天気予報のシステムを確立するために、人類は数百万年掛けた人智を結集しても大した結果は残していない。
パラドシカルに言えば、人類は高等的種族でいるためには知的である宿命を背負っているに過ぎない。
地球外生命体に知的生命体を求めるのは、人類の馬鹿の骨頂だ。
宇宙人が存在するなら、我々の理解を超えた文化的かつ高踏的生命体ということだろう。
そしてコミュニケーションという概念も我々とは、全く異なっているので、言語理解などという
低級な手段は用いないだろう。
我々はゴキブリよりは確かに知的であるが、どちらが高等生物であるかどうかは、人類以外の
第三者の価値観で決められるものだ。
知的であるということは面倒臭いものだと思う。