07/12/14 16:53:56 0
>>1の続き
この日本でのナショナリズム欠落は昨年の教育基本法の内容をめぐる論議でも証明された。教育の
目標や指針としての「愛国心」「国を愛する心」は排除され、「国と郷土を愛する態度」という記述が
採用された。国を愛するのは「心」であってはならず、単なる表面の「態度」だけがよい、ということ
なのか。こんな国は他にないだろう。
日本では国家への忠誠という概念が存在しない。だから国家機密もない。ここでも「日本のナショナ
リズムは危険」だとする断定の虚構が証明されている。主権国家のメンバーの間でなら自然、当然
の愛国心さえ、ほとんど否定されているのだ。
この日本の異様な反ナショナリズムの風潮と、それに基づく制度を変え、日本を正常な国にしようと
努める政治家もたまには存在する。安倍晋三氏はその一例だ。だがその努力は往々にして「タカ派
的」「軍国主義的」「ナショナリスティック」という不当なレッテルを貼られて、逆に攻撃される。
反ナショナリズムを排し、国家としての要件をきちんと制度化するという作業は、近代的主権国家の
指導部にとっての自明の責務である。そうした作業はすでにアメリカだけでなくイギリス、フランス、
中国、そして新生イラクでさえ、実行されてきた。日本だけは、それをしてはならない、というのだ。
日本は戦後の長い年月、民主主義の道を歩んできた。民主主義的な価値観を保ってきた。だから
外部からたとえいかに「ナショナリズム的」とみえる措置でも、基本的には民主主義の範疇である。
だがそれでも危険だというのは、日本に対する偏見や独特のゆがんだ認識のせいだろう。(以上)