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三代目 湯木尚治 祖父への思い その1
「生まれた時から家は料理屋」--
湯木尚治さんは、芸者が出入りするのが当たり前の環境で育った。
遠足の弁当は塗りの膳に入った松花堂弁当。
誕生会はお友達を呼んで吉兆本店で流しソーメン。
「派手だからやめてくれ」とPTAで苦情がでて以後誕生会は中止になったこともあったとか。
またある日、家政婦が子供の食事にインスタントの味噌汁を出そうとした。
すると祖父の貞一氏が「子供にインスタントの味付けを食べさせるのはやめてくれ」と怒ったこともあったという。
日本料理の神様 湯木貞一は25歳の時、
北大路魯山人と島津藩・松平氏の二人の巨人との邂逅を経て、
神戸から食の都大阪へ独立してゆくのである。
貞一氏に妻の死という最大の不幸が訪れる。
常に共にあった最愛の妻との別れ。
その辛さを日本料理を心の支えにして乗り越え、
一男四女の二代目に「吉兆風」の精神を引き継ぎ、
現在24店舗すべてを身内でまかなう吉兆グループに発展させるのである。
全国に24店舗を展開する吉兆は、
いわゆる暖簾分けではなく、
全てが身内・親族の経営。
つまり創業の心を知るものだけが吉兆を名乗れるのである。
調理師の料理を出し、中途採用はせず20年以上の経験を持つ調理師が指揮を執る。
新たな展開にトライする吉兆だが、創造の連続がすなわち伝統を守るのであり、
それは創業者湯木貞一氏の精神につながるものである。
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