08/08/06 07:42:11
ソース:東亜日報(ハングル記事を記者が翻訳)
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古臭い表現ではあるが、日本は韓国にとってどうにもならない'近くて遠い国'である。
韓国人たちへ消すことのできない歴史的傷を残していながら謝罪の話となると '遺憾の意'
のような曖昧な表現で避ける国。忘れてもいいぐらいに何度も独島問題を持ちだし全国民
の公憤を招く国.。
皆が知っている慰安婦問題に対しても、自分たちだけ分からないとそっぽを向く無責任な
国でもある。どうして日本はこれほどまで無責任なのか。日本の国民性が元々そのような
ものなのだろう。
'インタ-ナショナルヘラルドトリビューン'(IHT) などの特派員で20余年アジアの各地で活動
したパトリック・スミスは”日本の再構成”(マティ発行誌)を通じて"国民性とは関係ない問題"
としつつも、日本がなぜ”国家的アイデンティティや歴史の記憶と忘却に関する問題に限って
は未だ現在進行形なのか”を分析していく。
1987年から1991年までIHTの東京支局長を勤めるなどしていた著者は、現代日本が処した
問題の核心は”自らを直視することができない事”だと指摘する。
著者はその理由に対し、現在私たちが眺めている日本は日本国民自ら作り上げたもので
はなく、戦後にアメリカが用意した日本だからだと説明する。アメリカによって”作られた
歴史”のせいで日本は”親馬鹿の状態下におかれ、ひとりでは何もできない”状態になって
しまったというのだ。
この点は韓国と日本の現代史比較でも確認される。韓国は冷戦がもたらした独裁でデモ
クラシーを得るために悽絶に努力し、その結果デモクラシーを得た。しかし日本は戦後に
そんな機会を持つことができずにアメリカが用意した体制に何の抵抗もなしに入り今まで
維持されて来た。
著者はまた、アメリカが天皇(日王)の罪を隠してしまったことで占領軍が一気に”責任を
回避する文化”を助長したという観点を提示する。
このような空気が今日までつながって歴史を否認することが出来るようになり、その後も
無責任という思潮が政治.教育、外交など各分野まで掘り下げられたという説明だ。
著者は「こういった戦勝国側の処分のために、一国の全面改造計画は空々しい詐欺で
始まった。」とし「見掛けだけもっともらしければ良く実質的な内容はどうなっても構わな
かったのである」と指摘する.
著者はまた1947年に作られた平和憲法と1951年に締結され、その翌年から実行された
日米相互安保條約に対しても「政治的、.外交的精神分裂症の傑作」とし、同時に日本が
これまで経験している疾病の原因だと診断し、この疾病から脱するためにも平和憲法の
改訂論議とともに日米相互安保條約の廃棄を主張する。
戦争放棄を規定する第9条を含む平和憲法の改訂論議が日本の”歴史ノイローゼ”に
対する唯一の治癒度チェックだとする著者の視点は韓国人の視点からするとなんとなく
気持ちのよい話ではない。
著者の主張がアメリカによって”作られた”歴史から脱して日本自らが自分たちの主体性
とアイデンティティを確立しなければならないという視点で申し立てられたことだということを
理解してもやはりそうだ。
(「日本の再構成」 ノ・シネ翻訳、550P、二万六千ウォン)