08/07/26 10:15:17
>>1の中略部分
対馬島もそうだ。対馬島は古代から洛東江地域と九州の間にある飛び石みたいな存在だった。最短距
離でもあったこの航路はたとえ200kmしかにならなくとも、その頃は一気に行くことができる距離では
なかった。潮流と風に合わせなければならなかった。日本に渡ろうとすると北東風と寒流が南下する
秋期まで待たなければならなかったし、反対に日本から来る航路は黒潮と偏西風が吹く春期と夏季を
利用しなければならなかった。
その中間地点である対馬島は、古代から韓半島人の拠点になるしかなかった。両方を往き来した人は
日本の原住民ではなく、伽耶や百済人だったから対馬島は伽耶や百済に属していた地だったし、現在
居住している島民たちはその子孫だと言っても過言ではないだろう。
実は対馬島は、豊臣秀吉が朝鮮侵略の野望を抱くまでは、関心の外に置かれた島に過ぎなかった。彼
らは朝鮮王朝が送ってくれる糧食に寄り掛かっていたと言うし、領主は朝鮮王朝の官職まで得ていた
境遇だった。だから、対馬島はわれらの領土だと主張することができる根拠が充分にあるのだ。